ハコスカGT-Rがついに臨んだデビュー戦は繰り上げでの優勝に。GT-R伝説の始まり|1969年式 日産 スカイライン 2000 GT-R 1969 JAFグランプリ優勝車(篠原孝道号)仕様【3】

コースインを待つ篠原孝道のGT-R。隣に510ブルーバード、後ろにベレットGTが見える。この時のドライバーミーティングで日産のドライバーは極度の緊張からか全員青ざめて表情がなかったという。

       
【2】より続く

【1969年式 SKYLINE 2000 GT-R 1969 JAFグランプリ優勝車(篠原孝道 号)仕様vol.3】

 エンジン特性なども含め、完調とは言い難いが、一応戦力のめどが立ったGT-Rで臨んだJAFグランプリの予選は、思ったほどタイムが伸びなかった。藤田が2分13秒42でポールポジション、レーガンが2分13秒73で2番手、長村が2分14秒66で3番手、萩原が2分14秒91で5番手、篠原は2分15秒58で8番手という順だった。

 逆に好調だったのが参加資格に抵触しなかったプロドライバー、トヨタ1600GTの高橋晴邦だった。2分14秒91で予選最前列、GT-R勢に割って入る4番グリッドを確保。なお、1600GTによる2分14秒台のラップタイムは、このときが初めてだった。

  レースは、1速をハイギアード設定にしたGT-R勢がスタートで出遅れ、高橋晴邦、舘宗一(現・信秀)、石井和雄、中野雅晴の1600GT4台が先行した。GT-R勢は1600GTを追う展開となり、これが焦りを呼ぶ結果となってしまった。

 GT-R勢は、1600GTを捉えようと力走するが、7周目にレーガン、15周目に長村がストップ、最速の藤田もスピンで後退。トヨタ勢は晴邦1台が生き残る展開となったが、快調にトップを保って周回を重ねていく。

 結局、最終盤で晴邦対篠原の一騎打ちとなり、技量で勝る晴邦が篠原を抑えきったが、これが走路妨害と判定され、1周減算のペナルティを受けることで篠原、萩原が繰り上がり、辛くもGT-Rが優勝となった。

【画像20枚】ついに臨んだデビュー戦、繰り上げによって辛くも優勝を手にしたGT-R

 決勝を前に「GT-Rのドライバーはみんな顔色がなかった」と極度の緊張状態にあることを見てとった晴邦。日産の看板を背負ったクラブマンドライバーの動揺を見逃さなかったプロらしい戦い方だったが、誰が乗っても楽勝でなければいけなかったGT-Rにとっては、不本意なデビューウインと言わざるを得なかった。(文中敬称略)



>>「ボクは4~5番手を走るはずだったのがみんな脱落して、いつの間にかトップ争いに。実はボクのクルマ、オーバーヒート気味で苦しかった」とはこの後日、レースを振り返っての篠原孝道のコメント。


>>このレースでデビューを飾ったスカライン2000GT-R


【1】【2】より続く

初出:ノスタルジックヒーロー 2019年2月号 vol.191
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

1969年式 SKYLINE 2000 GT-R 1969 JAFグランプリ優勝車(篠原孝道 号)仕様(全3記事)

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text:Akihiko Ouchi/大内 明彦 photo:Motosuke Fujii/藤井 元輔

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