マツダ787B、故郷ル・マンに帰る 3

今もACOミュージアムに展示される787B。この車両は優勝を記念してマツダが製作したもので翌1992年ACOに寄贈。ベースは787だ。

サルテに響きわたった
“官能の”4ローターサウンド

787Bパレードラン

車検場としても知られるジャコバン広場からパレードランはスタート。寺田陽次郎からD.ケネディへとドライバーチェンジ。

 目の前で、787Bの現役当時を知らないはずの子供たちが、787Bにカメラを向け、まぶしそうにハーバートにサインをせがんでいた。その傍らで自分たちが見てきたことを語って聞かせる親たちがいた。モータースポーツが日常生活に溶け込み、文化として受け入れられていることがありありと伝わってくる1シーンだった。

 うらやましいという感情がわき上がってくる一方で、マツダの残してきた足跡が、いまもル・マンで生き続けていることに感銘を覚えてしまった。

「マツダはもう出ないのか?」と地元の人に聞かれることがある。「機会があれば、また出てくるかもしれない」と気楽に答えていたが、今回のような光景を目にしてしまうと、もう一度スポーツカーレースに復帰してもよいのではないか、と考えてしまう。地元ル・マンで、マツダの知名度はそれほど高い。



787Bまでの21年の足跡

1970年のル・マン24時間レース
1970年のル・マン24時間。ロータリーの初参戦はシェブロンB16・48号車に積まれた10A型だった。

1979年ル・マン24時間レース参戦車両
マツダ車としての本格参戦は1979年の252(SA22C)が最初だったが予選タイムに届かず不出走。搭載エンジンは13B型。

1981年ル・マン24時間レースマツダ参戦車両
1981年には空力面を改善した253へと発展。2台での参戦だったがともにリタイア。

マツダ254
SA22Cベースの最終型となる1982年の254。1台が完走を果たし総合14位、IMSA-GTXクラス6位に食い込んでいる。

マツダ727
1983年からグループCジュニアクラスで参戦。写真は第2世代となる727で、この年は2台とも完走。







掲載:ノスタルジックヒーロー 2011年10月号 Vol.147(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

text:Akihiko Ouchi/大内明彦 photo:AkihikoOuchi/大内明彦、Sumiyo Ouchi/大内すみ代、MAZDA CO.,LTD/マツダ

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