GT-R伝説の始まり。ツーリングカー王座奪還へ向けて開発されたハコスカ、そのレーシングモデル|1969年式 日産 スカイライン 2000 GT-R 1969 JAFグランプリ優勝車(篠原孝道号)仕様【1】

ツーリングカー王座を奪還すべく開発されたレース仕様のハコスカ

       
【1969年式 SKYLINE 2000 GT-R 1969 JAFグランプリ優勝車(篠原孝道 号)仕様vol.1】

 スカイラインシリーズが、S50系からC10系にモデルチェンジを受けたのは1968年8月。GT系は2カ月遅れて10月の発売となったが、旧GT-Bに代わるパワーモデルのラインナップはなかった。しかし、新型スカイラインにサーキットレースを意識したモデルが用意され、そのエンジンはR380用……、といううわさが公然とささやかれていた。

 うわさは真実。69年2月に追加されたGT-Rは、推測どおりのスペックを備え、GT-Bが失ったツーリングカーの王座を、奪還できるモデルとして企画されていた。そのGT-Rのレース仕様車は、号車が68年12月に富士スピードウェイに登場。GT-R自体はまだ量産試作車の段階で、一刻も早くレース仕様車の開発に着手したいという切迫した事情があった。というのも、GT-Rのデビュー戦は5月3日の「JAFグランプリ」と決められていたからだ。

【画像19枚】ツーリングカー王座奪還へ向けて開発されたレース仕様のハコスカ

 当時の開発責任者は、第2回日本グランプリからプリンスの監督を務める青地康雄だったが、彼を含めた開発陣には、スカイラインのデビューは晴れの大舞台という暗黙の了解があった。開発に要する時間は、長ければ長いほど有利なことは言うまでもなかったが、市販車あってのレース仕様車。ベース車両がないことには開発のしようもなく、開発陣が最速で現車を手にすることができるタイミング、それが11月の量産試作車だった。

 まず、基本素性の確認とパーツ開発の基礎データ収集が目的で、S20型エンジンはノーマル仕様だったが、ベストラップで2分20秒を記録。旧S54 CRが2分20秒平均だったため、開発陣としてはそれなりの手応えだった。

 ちなみに、このテストは、バルブリフターの焼き付きによって31ラップで終了となったが、レース仕様車を開発するうえでの方向性は確認できた。ところで、5月のJAFグランプリをデビュー戦に設定したが、GT-Rの目標はデビューすることでなく、あくまで勝つことにあり、そのために必要な性能値、すなわちラップタイムは、2分10秒と設定された。

 前年、68年日本グランプリのポールタイムは、大岩湛矣のトヨタ1600GTで2分17秒14(レース中のベストラップは2分16秒08)。69年JAFグランプリの相手も1600GTとなったが、熟成の域にあった1600GTが5%(ちょうど2分10秒となる)の性能向上を果たすことは現実問題として不可能だと考えられた。


>>レース仕様車開発陣の懸念材料は、大きくなったことによる空気抵抗の増大にあった。また、重くなった車重の軽減化も大きな課題(規定最低重量940㎏に対し実重量980㎏)となっていた。


>>全幅が旧GT-Bより100㎜ワイドになったC10系のボディ。


【2】に続く


初出:ノスタルジックヒーロー 2019年2月号 vol.191
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)


1969年式 SKYLINE 2000 GT-R 1969 JAFグランプリ優勝車(篠原孝道 号)仕様(全3記事)


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text:Akihiko Ouchi/大内 明彦 photo:Motosuke Fujii/藤井 元輔

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