ぶっつけ本番で優勝争いを演じたポルシェ917、ベースポテンシャルの高さを示す|日産R382 vs ポルシェ917【3】

空力は917に課せられた大きなテーマで、71年には917/20(ピンクピッグ)という空力実験車も走らせている。このLHは安定したモデルでリフトとドラッグのバランスに優れていた。

       
【2】から続く


【特集:日産vsポルシェ 日産R382 vs ポルシェ917 vol.3】

 量産車911の北米市場での大成功は、ポルシェのレーシングディビジョンにも大きな福音をもたらしていた。平たく言えば、潤沢な活動予算を確保できたからである。

 1967年シーズン初頭は2Lの910が最新車両だったポルシェは、わずか2年の間に907、908を経て4.5リッターグループ4スポーツの917を造り上げるまでに成長を果たしていた。

 こうした動きにはFIAの車両規定変更も追い風として作用。69年からグループ4スポーツの生産台数が50台から25台へと半減したのである。

 3リッタープロトの908が5リッタースポーツのフォードGT40に苦戦した経緯を踏まえ、それならば我々も5リッタースポーツに土俵を移そうというポルシェAGの「大量生産」の決断だった。

 1969年日本グランプリに来日した917はデビッド・パイパーの個人車両で初期型の4.5リッター仕様だったが、パワースペックは520psとR382と戦うにはなんとかなりそうなレベルだった。しかし、来日してから天候問題などにより、富士スピードウェイを満足に走ることができず、ぶっつけ本番と呼べる臨戦態勢ながらトップ争いを演じたことは、ベースポテンシャルの高さを示す好例だったが、空力的には未完のモデルだった。

 1970年になるとチーム運営がジョン・ワイアー・オートモーティブに移管されたことも手伝い、車両は917K、917LHへと進化。紹介するモデルは71年ル・マン仕様車の917LH(ラングヘッグ=ロングテール)で、6kmのストレート、ユーノディエールで380km/hオーバーを記録した車両である。

【画像8枚】天候問題などにより満足な準備ができなかったポルシェ917だったが、本番ではトップ争いを演じた


>>907以降の慣例として右ハンドル仕様で作られた917。


>>搭載するエンジンは71年の917最終型では5Lとなるが、69年日本グランプリ当時は4.5Lで翌70年に4.9ℓが登場している。構造的には6気筒を2基連結したセンターテイクオフ式が採用されている。



【1】【2】から続く


初出:ノスタルジックヒーロー2018年10月号 Vol.189
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

日産R382 vs ポルシェ917(全3記事)

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tete&photo:Akihiko Ouchi/大内明彦

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