ポルシェが「ジャイアントキラー」ぶりを発揮した1968年の日本グランプリ|日産R381vsカレラ10(910)【1】

1968年の日本グランプリ1-2位の2台

       
日産、正確にはプリンス/日産とポルシェは、日本のモーターレーシング史において、因縁浅からぬ関係で推移してきた事実を持っている。また日産にとってのポルシェは、ライバルであると同時に手本とする先達でもあった。今回は、その発端となったスカイラインGT対ポルシェ904 の鈴鹿対決を手始めに、両軍のレーシング対決を時系列に沿って紹介していこう。

【特集:日産vsポルシェ 日産R381vsカレラ10(910)vol.1】

 2Lプロトを軸にレース活動を展開していたポルシェに冠されたニックネームが「ジャイアントキラー」。4Lのフェラーリや7Lのフォードを相手に、その高い信頼性と優れたハンドリング、安定した動力性能を武器に総合順位で表彰台に上るケースがしばしばあった。66年から67年にかけての906、910による活動である。

 この「ジャイアントキラー」ぶりを文字通り地でいったのが68年日本グランプリだった。日産、トヨタの主力は大排気量グループ7カー。910を抱えたタキレーシングも本命は6.3〜5.5LのローラT70。勝てるチャンスのある大排気量車が少なくとも10台は参戦したわけで、当時最新のポルシェ910といえども、11番手以下に沈む可能性が十分にあった。

 しかし、実際に80周、480kmの長丁場を走ってみれば、用心に用心を重ねて走った北野のR381が1台残ったのみで、他の大排気量車は総崩れ。逆に、排気量でR381の約3分の1となるポルシェ910の生沢が、いったんは同ラップに戻す健闘を見せて総合2位に食い込んでいた。

 一方の勝ったR381は、自社製エンジンの手配がつかず、CAN‐AM用ムーンチューンのシボレー製5.5Lを購入して使用。信頼性がきわめて低く最終的には荻窪チューンとなったが、あまりに時間がなく、十分な対策が施せなかったという。

 所期の性能を発揮すれば他を圧倒するに十分だったが、壊れないように1000rpmダウンで走った450psのR381と、非力ながら持てる力をフルに発揮して走ったポルシェ910の対決が、実におもしろいレースだった。

【画像8枚】「ジャイアントキラー」ぶりを発揮したポルシェとR381の対決が面白いレースだった1968年の日本グランプリ


>>3台準備されたR381だったが、トラブルなくゴールまで走り切れたのは優勝したこの北野車のみ。あまりにペースを抑えたため「優勝した実感がない」とゴール後の北野元選手。


>>2Lプロトとして当時世界最強と目されたポルシェ910。906開発時にあった制約も解け、機械的には自由な設計が可能となった。風洞は使用していないが空力面の向上も果たした。



【2】へ続く


初出:ノスタルジックヒーロー2018年10月号 Vol.189
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

日産R381vsカレラ10(910)(全3記事)

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tete&photo:Akihiko Ouchi/大内明彦

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