「初めて自分で買ったダットサンは521」3代続くチャキチャキの「510っ子」|今も色あせない「DATSUN」の輝き【3】

1982年式910系ダットサン・マキシマ

       
【2】から続く

【ニッポン旧車の楽しみ方第48回 今も色あせない「DATSUN」の輝き vol.3】

日本においては、おもに910までのブルーバードやピックアップトラックのブランド名として知られる「ダットサン」。アメリカにおいては多くの日産車が「NISSAN」ではなく「DATSUN」の名称で販売されていた。「ダッツン」「ダツン」などとも読まれ、ある意味、日本以上にアメリカでなじみの深いブランドが、ダットサンなのである。

1982年式 ダットサン マキシマ、1976年式 ダットサン 710 ワゴン、1972年式 ダットサン 510、1971年式 ダットサン 510

祖父も父もダットサン510が好きで乗っていたんです。私はだから510に囲まれて育ったというわけ」

ガヤルドさんは3代続くチャキチャキの「510っ子」ということだ。

「初めて自分で買ったダットサンは521(系トラック)でした。なぜピックアップだったかって?当時まだ学生だった私には510は高価すぎて手が届かなかった。それでもどうしてもダットサンが欲しかった」

はやる気持ちを抑えきれず、700ドルで手に入れた521。念願のダットサンデビュー。そして現在会社に置いたままになっている521は買い替えた2台目にあたる。会社の仕事と自分の510の整備に忙しく、521は手付かずのままでまだ動かない。それなのに最近、4000ドルでそのまま買い取りたいという人すら現れた。

「510はここ5年で3倍くらいの値段になったと思うわ」

アマンダさんが言葉を足した。ダットサンの値段が急上昇しているらしい。

「映画のトランスフォーマーと、ジェイ・レノ(アメリカの有名タレント)がクルマ番組で510を取り上げたからじゃないかな」

完成車はすぐには手の出ないほど高価になっていたから、ガヤルドさんは510のドンガラから自分で組み上げることにした。3年前に購入したドンガラは、それだけで900ドル。その10倍近くに及ぶ費用と、2年という労力を費やして、ようやく思い通りに510を仕上げた。そして今、増え始めたダットサンコレクション。ところが最近考えが変わってきたという。

「710はいずれ手放します。場所の制限もあるし持ち続けるのは大変。それに、目標があるから。510乗りとしては、クーペのSSSに乗るというのがその最終目標」

だからこれ以上手元のクルマにお金と労力をかけるのは違うのだ、と語った。今はアマンダさんにプレゼントするグレーの510を完成させる必要があるだけだ。

幼少時代の記憶を頼りに、次の世代の人たちが旧車の魅力にとりつかれ、そこに夢と目標を見出していく。新たな世代が旧車コミュニティを担い、旧車の魅力にまつわる感情を伝えていく。これぞ現在進行形で形成されている旧車文化。未来へと受け継いでいくべき文化的財産ではないか。

【画像14枚】高級化路線ゆえ豪華仕様となっていたマキシマの内装など。この個体は損傷が進んでいたものの、ソファのような厚みと手触りのシートがそれを物語る。インテリア全般を直線調とした80年代らしいデザインで、鍵の抜き忘れ、ライトの消し忘れ、半ドアなどの警告を英語で喋りかけてくる機能がついていた。天井についたマップライトはスイング式だった


>>1982年式910系ダットサン・マキシマ。これが初めて「マキシマ」を名乗った車種であり「NISSAN」の名前が使われ始めるのは1984年式から。直列6気筒エンジンを収めるノーズの長さに由来する車体の大きさが目立ち、テールランプ周辺のデザインのみが日本国内仕様の910系を思い出させる。黒いルーフについては「前オーナーがやった素人塗装です」とガヤルドさん。


>>マキシマに搭載されていたエンジンはLD28型というL型エンジンのディーゼル版。1981年から1984年にかけて北米市場に供給されていた。オプションだった5MTのトランミッションは当時は珍しい選択だったという。リアの足回りは510譲りの独立懸架が引き継がれ、当時の宣伝では同時期のダットサン280ZXとの動力系の共通性が強調されていた。「280ZXのターボを移植できるはず」とガヤルドさんは説明した。



初出:ノスタルジックヒーロー 2019年4月号 Vol.192
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

今も色あせない「DATSUN」の輝き(全3記事)

シリーズ: ニッポン旧車の楽しみ方

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【3】へ続く

text& photo: Hisashi Masui/増井久志

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