変動相場制とともに消えた軽快だった510、そして復活へ|今も色あせない「DATSUN」の輝き【2】

北米仕様の1976年式ダットサン710ワゴン

       
【1】から続く

【ニッポン旧車の楽しみ方第48回 今も色あせない「DATSUN」の輝き vol.2】

日本においては、おもに910までのブルーバードやピックアップトラックのブランド名として知られる「ダットサン」。アメリカにおいては多くの日産車が「NISSAN」ではなく「DATSUN」の名称で販売されていた。「ダッツン」「ダツン」などとも読まれ、ある意味、日本以上にアメリカでなじみの深いブランドが、ダットサンなのである。

1982年式 ダットサン マキシマ、1976年式 ダットサン 710 ワゴン、1972年式 ダットサン 510、1971年式 ダットサン 510

日産の歴代乗用車の代表格であるブルーバード。長く続いた名前は国内だけだったが、同車種は早くから海外へ輸出され世界中で親しまれた。中でも510系はアメリカで人気が爆発。その根源はBREに代表されるレースで証明された運動性能の高さだった。

ところが、71年に610系への代替わりを迎えると様子が変わった。「ダットサン610」は大柄で、搭載されたL型エンジンは4気筒のみ。610の動作は鈍重だった。そこで小さめボディに2Lエンジンを積んだ「ダットサン710」が74年に投入された。日本国内では610系ブルーバードUのあと、サニーとの車格差を埋めるために710系バイオレットが登場した経緯と似て非なるストーリーである。北米仕様710では後輪独立懸架が撤廃されてしまった(国内はSSSが独立懸架)。コストの問題であったと推測できる。

この時代、日本メーカーにとって厳しかったのはエンジンの環境対策や車体の安全対策だけではなかった。国内では高度成長で所得が伸びクルマには大型化が希求される半面、国際的には変動相場制になって円の価値がじりじりと上がり、クルマの輸出にはコストダウンが明確に求められ始めた。国内外の要望が相反していたのだ。その相反する要望を単一車種でカバーすることの困難さは910系に進むに伴ってはっきりと露呈した。

日本国内では610系を踏襲する810系を経て、910系になってついに断捨離を決行し、510系を彷彿させる直線基調の爽やかなボディラインと4気筒のみのZ型エンジンに整理された。対して北米市場の苦難は6気筒エンジンが必須と判断されたこと。そしてそれに伴って高級化路線を進まなければならなかったこと。77年に810系が登場すると6気筒専用車種「ダットサン・810」となった。間もなく910系へ移行するも「810」の名前を堅持し、L型6気筒エンジンのみの設定。こうして日本国内仕様と決別した。そして「マキシマ」と名前を変えた。軽快だった510へ戻ることはもうできなかった。

「510」の名称が再び現れたのは710を継いだA10系。しかしL型からZ型へと変わったからだったのか、アメリカのユーザーは満足しなかった。そうこうするうち、いつの間にかダットサンの名は消え、ニッサンに変わった。そして時代はFFとなった。


【画像14枚】きれいなまま維持されていた710のインテリアなど。特にシートは傷みもなく絶品で、前席シートの裏に入れられた模様もはっきりと見ることができた。インパネ中央部がドライバー側に傾けてあるのはこの時代のダットサンに見られた特徴的なデザイン。ミラーの幻惑防止ノブに描かれていた太陽のようなマークも懐かしい



>>北米仕様の1976年式ダットサン710ワゴン。日本国内仕様の日産バイオレットに相当するが、マスクのライト周りとバンパーのデザインの違いのため、610系との類似性が感じられるデザインに仕上げられていた。


>>北米仕様の710に搭載されたエンジンはL20B型だったが、この個体の機関系はオリジナルの状態をそのまま残していた。固定軸式のリアアクスルで動力を伝えるのは510系ワゴンと同様の方式。ただし北米仕様の710はセダンも含め固定軸式のみだった。リアハッチに残っていた珍しいウッドパネル模様はステッカー。2本の並行するサイドモールもユニークだ。




初出:ノスタルジックヒーロー 2019年4月号 Vol.192
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

今も色あせない「DATSUN」の輝き(全3記事)

シリーズ: ニッポン旧車の楽しみ方

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【2】へ続く

text& photo: Hisashi Masui/増井久志

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