アメリカへ、そして認可がおりる寸前に【5】1979年式 童夢 P-2

全幅は零より5mm広いだけだが、数字以上に大きく見える。実際、零のパーツを流用せず、全部作り直されている

       
【 1979年式 童夢 P-2 Vol.5】

【4】から続く

 日本での認定を諦めた童夢は、米国での認可を得るべく、童夢零の米国認可仕様バージョンを製作した。それが赤のボディカラーのこのP‐2。童夢零の3号機とでもいうべきものだ。

 当時米国内を走行している写真なども残っており、認可がおりる寸前だったようだ。しかし、読者の皆さんもご存じの通り、このクルマが認可されることはなかった。その理由は童夢零の意匠を獲得したラジコンメーカーからもたらされた提案からだった。すでに童夢零の玩具ブームは落ち着きを見せ始めており、二匹目のドジョウを狙うためニューカーの開発協力を申し出たのだ。それに対する林みのるさんの答えは「もう市販車開発で童夢零以上のインパクトは出せない。ル・マン24時間レースで優勝できるレーシングカーを作れば話題性がある」だった。

 童夢零のプロジェクトメンバーも全員本業はレースカー。一気に全員の興味がP‐2から離れ、1979年には童夢零RLを開発してル・マンに出場。1980年にも出場し、最下位ながらも日本車初の完走という記録を残すことになった。もちろんル・マン出場の資金をラジコンメーカー1社が担うことはできず、童夢は零の意匠権で得た資金を投入。この資金は、ほぼ1年で使いきり、海外法人まで設立して準備していたP‐2は認可寸前ながらも忘れ去られてしまった。その後、童夢はル・マン出場から国内レースに移り、一貫してレースを中心とした事業展開となり、スーパーGT、スーパー耐久でも活躍。

 残された童夢の3台は童夢のショールームに展示されている。特に赤色のP‐2は動態保存され、定期的にサーキット走行などで我々の目を楽しませてくれている。


>> 【画像26枚】ほとんど寝たような状態でシートに収まっているため、遠く感じるものの踏めないことはないフットペダルなど、童夢 P-2のディテールの数々




>> エンジンはミッドに配置。零ではたびたびオーバーヒートしたため、P-2には大容量のラジエーターがおごられ、2基の電動ファンを追加。それはすべてフロントに納められている。





>> ミッションはドイツのZFフリードリヒスハーフェン製の5速MTが採用されている。



【5】に続く


1979年式 童夢 P-2

Specification 諸元
全長:4235mm
全幅:1775mm
全高:990mm
ホイールベース:2450mm
トレッド前後:1445/1505mm
最低地上高:130mm
車両重量:950kg
シャーシー:スチール・チューブ・フレーム
ボディ:FRPセミモノコック
エンジン種類:水冷直列6気筒SOHC
エンジン形式:L28型
総排気量:2753cc
最高出力:145ps
サスペンション:前後ともダブル・ウイッシュボーン・コイル
ミッション:ZF-5DS-25/2
ステアリング形式:ラック&ピニオン
ブレーキ前後:ベンチレーテッド・ディスク/ソリッド・ディスク
タイヤ:前185/60HR13 後225/60HR14



初出:ノスタルジックヒーロー 2018年6月号 vol.187
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

1979年式 童夢 P-2(全3記事)

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【1】【2】【3】【4】から続く

text:NOSTALGIC HERO/編集部、AKIHIKO OUCHI/大内明彦 photo:ISAO YATSUI/谷井 功

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