世界の視線を集めた童夢・零。量産を目指したP-2|半世紀にわたる伝説「童夢」の生き証人 P-2 & マクランサ Vol.1

企画展「童夢 ゆめをかたちに」 会期 2016年10月8日〜12月25日 会場 アウトガレリア ルーチェ

       
半世紀前カスタムレーシングカー「カラス」でレース界に参入。
40年前カスタムカー「童夢-零」で童夢を起業した林みのる。
日本のモータリゼーション史において伝説的存在の童夢は名車の数々を輩出。
そのうち節目の車両、P-2とマクランサが姿を現した。童夢にかかわる歴史プロジェクトを推進する
2016年「アウト ガレリア ルーチェ」が手掛ける2台で鈴鹿ツインサーキットを実走。
当日現場を訪れた当事者、林みのるも感慨深げな様子だった。

【半世紀にわたる伝説「童夢」の生き証人 P-2 & マクランサ Vol.1】

 カスタムカー工房の草分け的存在、「童夢」が誕生したのは1975年。創始者林みのるが、初のカスタムロードカーとなる「童夢‐零」を製作するため立ち上げた組織だった。
 前例がないことへの挑戦だっただけに、紆余曲折、解決すべき多くの問題に直面したが、夢を実現するための情熱、エネルギーがこれを上回った。かくして童夢‐零は1978年に完成。同年のジュネーブショーに出展したが、これが本人たちの予想をはるかに超す大反響となり、童夢の名前は一躍知れ渡ることになった。

 もともとロードカーとして市販化を視野に入れていたが、当時のレギュレーションは現在よりはるかに厳しく(というより四角四面、融通が利かない)、自動車メーカー以外、日本国内で車両認証を取得することは不可能に近く、童夢‐零もこの問題で障壁に行き当たっていた。
 それならば、認証がとりやすいアメリカに開発拠点を移し、零の進化発展型の継続開発を行えばよい、という判断が働いた。この車両が1979年に造られた童夢P‐2だ。基本コンセプトは第1作の零と同じ。零のリファインモデル、正常進化版と見なしてもよく、市販化に対応して細部の仕様を法基準に適合させたモデルだ。この童夢P‐2が再整備され、可動車としてサーキットでデモランを行うことになった。
(文中敬称略)

>>【画像15枚】その特徴的なドアを開いて展示されていた童夢 P-2など





1970年代後半のコクピットデザインと考えたら、誰の目にも、当時は恐ろしく先進的なデザインと映ったことだろう。


【2】に続く

初出:ノスタルジックヒーロー 2016年12月号 vol.178(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

半世紀にわたる伝説「童夢」の生き証人 P-2 & マクランサ(全4記事)

関連記事: 童夢

text & photo:AKIHIKO OUCHI/大内明彦

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