ベアボディの状態に戻された復元の土台となるKP47【1-2】KP47DOHCスターレット復元作業 byトムス

程度良好! まずはベースボディの検証から

       
日本のマイナーツーリング史に4バルブDOHCを積むKP47スターレットが存在したことをご存じだろうか? 本誌では何度か紹介してきたが、この車両で活動したトムスが復元プロジェクトを立ち上げていた。なにしろ無敵のツーリングカー、その勇姿を再び目にできるのはうれしいことだ。復元作業が始まった2017年当時、ノスタルジックヒーローは密着取材を試みた。

【1-2 1973年の富士GCシリーズの最終に現れたマシン KP47DOHCスターレット復元作業 byトムス】

【1】から続く

「トムスがKP47スターレットの復元作業に取り組むようだ」という話を耳にしたのはちょうど1年前のことだった。レース用KP47DOHCスターレットについては、以前本誌で桑原自動車の車両を紹介したが、今回はトムスがその復元作業に臨むというので、これはまたとない機会と考え、トムスにそのむねを申し出たところ、復元過程を段階的に追う密着取材が可能となり、回を分けて紹介することにした。

 というわけで、初回となる今回は、まずKP47DOHCスターレットの概要を紹介し、併せて復元作業の初期段階をお伝えすることにした。

さて、どれほどすごいクルマだったかは、前ぺージの紹介記事や、以前の取材記事でお分かりいただけたと思うので、ここでは、復元作業の始まりから、その経過をお伝えしていきたいと思う。言ってみればレーシングカーのレストア記である。
 ところで、KP47を取材したいという本誌の申し出に対し、快く対応して下さり取材の便宜を図ってくれたのが、トムスデザインの大岩芳彦さん。その名前でピンとくる方もいるかもしれないが、舘信秀さんと共にトムスを立ち上げ、現トムス社長職にある、大岩湛矣さんのご子息だ。


>> 【画像21枚】東名サニーを従えて走る1976年3月の富士GC第1戦、富士300キロスピードレースからのひとコマなど

 どうしても最初に聞きたかったことがひとつあった。今、なぜKP47なのか、ということである。
 「会長(舘)がKP47の復元をしたい、と言い出したんです。で、気が付いたらKP47の車体が置いてあった。誰が担当? どんなプロジェクト? と考えていたら自分のところに回ってきた、というより、自分が動くしかない状況になっていました(笑)」

 大岩さんによれば、会長も社長もかつての時代を懐かしむ世代になった。そうした意味では、トムスの創設と同時にかかわり、トムスのレース活動を成功に導いたKP47スターレットは、最も思い出深い車両の1台。だからよみがえらせたいのだろう、という。



>> このとおりボディ外側の状態は悪くない。もちろん保管状態に大きく左右される部分だが、当時の素材事情を考えれば野ざらしだったとも考えにくい。何にせよボディを構成する鉄板が無傷なことはありがたい限りだ。





>> エンジンベイ、キャビン回り、トルンクルーム内とボディ内側の状態も悪くない。あとはボディ裏側や水のたまりやすい部分の鉄板がどんな状態か気になるところだ。やはり年式を考えたらかなり良好な状態と言えるだろう。

>> 【画像21枚】東名サニーを従えて走る1976年3月の富士GC第1戦、富士300キロスピードレースからのひとコマなど

【3】に続く

初出:ノスタルジックヒーロー 2017年12月号 Vol.184
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

サニー、シビックがかなわなかった史上最強のマイナーツーリングカー、KP47スターレット(全3記事)

関連記事:KP47DOHCスターレット復元作業 【 1 】

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【1】から続く

text & photo:AKIHIKO OUCHI/大内明彦

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