チャンス! グループ2/4規定の緩くなったタイミングを見計らって放たれた3種の「換装ヘッド」たち| 1975年 トヨタ スターレット スペシャルツーリングカー仕様 Vol.1

2台あるのは1台が復元車(奥)で手持ちの137E型を有効活用したものだ。

       

常勝サニー/チェリーのA12勢、顔色なし ! ! それは異次元のスピードだった

【 1975年 トヨタ スターレット スペシャルツーリングカー仕様 Vol.1】

 日本のモーターレーシングが底を突くのは、1970年代中後半と見てよいだろうか。自動車メーカーの総力は排ガス対策に傾注され、量産車ベースのカテゴリーは現行モデルによるにぎわいを見せることもなく、TS/GTSカテゴリーが軽量コンパクトな旧型車によって、かろうじて生きながらえる状態にとどまっていたからだ。

 トップカテゴリーとなるF2/GCこそ、プライベートチーム+スポンサード企業による運営体系が確立し、ようやく軌道に乗ってきたような気配を見せていたが、海外製市販エンジンと市販シャシーを使うことで、国内自動車メーカーには依存せずレースが成立するところに成功のカギがあった。逆に言えば、国内メーカーをあてにできない時代だったからこそ、こうした環境がいや応なしに育っていったという必然の結果論である。

 富士スピードウェイ、鈴鹿サーキット周辺に設立されたレーシングガレージやチューナーが、確実に力をつけていったのもまさにこの時代である。

 なかでも、GCのサポートイベントとして発足したものの、チューナーの腕比べ、有力ドライバーの活躍の場として独立した意味を持つようになった富士マイナーツーリング(以下MT)は、ツーリングカーのプロレースとして大きく注目され人気を集めていた。

 言うまでもなく主役はB110サニークーペ。軽量コンパクト性、バランスに優れたシャシー、空力特性の良さが相まって、ライバルとなるトヨタ系ツーリングカー、KE20系カローラ/スプリンター勢をまたたく間に駆逐。小型コンパクトという意味では、カローラ系と同じ3K型エンジンを積むKP31系パブリカも優秀な素材だったが、サニーが持つ優れた総合バランスの前には力不足が否めなかった。

 カテゴリーにもよるが、チューナーが中心勢力となってレースを主導するのは、ある種理想的なスタイルとも言えていた。ワークスが主導するとトップコンテンダーの数が限られ、一強多弱の状態に陥りやすいが、いくつかのチューナー勢が拮抗することで、レースのコンペティション性が保たれ、その場にとどまることなく常に進化する環境が生み出されていくからだ。

 しかし、トヨタはワークス活動から撤退する直前に、MTのカテゴリーに鮮烈な一矢を放っていた。たまたまだが、グループ2/4規定の緩くなったこのタイミングを見計らい、既存の量産エンジンをベースにする4バルブDOHCの換装ヘッドを企画。それも3タイプである。

 2L18RG型用の152E、1.6L2T‐G型用の151E、そして1.3L3K型用(3K型は1.2Lだがレース用はこれをスケールアップして使っていた)の137Eで、137E型はカローラ系(KE20系)でもなくパブリカ(KP31)でもない新型車、パブリカベースの2ドアクーペ、パブリカ・スターレット(KP47)に積まれ、1973年富士GCシリーズの最終戦、11月22日に開催された富士ビクトリー200キロレースのMT部門に突然登場した。

ノーマルのKP47スターレットから大きく変更されているエンジン搭載位置や、プッシュロッドOHVの3K型をベースに4バルブDOHC化したエンジンなど【写真7枚】




フロントバルクヘッドも量産車からは大きく改造されている。エンジン搭載位置の変更によるものだが、この角度からも3本のペダル位置が改善されていることが分かる。ワークスの徹底ぶりが伝わる改造だ。





137E型搭載のKP47スターレットの現存車は1台あるのみ。桑原さん所有のモデルで1973年デビューウインを飾った久木留博之車が桑原さんの手に。

【2】に続く


初出: ノスタルジックヒーロー 2014年 12月号 Vol.166(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

1975年 トヨタ スターレット スペシャルツーリングカー仕様(全4記事)

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text : AKIHIKO OUCHI/大内明彦 photo : MASAMI SATO/佐藤正巳

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