「よろしくメカドック」SPLインタビュー【1】マニアックなクルマの知識はいったいどこで?

こちらは次原先生のデスク。もちろん、イラストを描くためにペンタブレットも用意されている。ちなみにイスは、独RECARO社製を愛用。

       
それまでのクルマ漫画とは異なる、チューニング系クルマ漫画の草分け的存在として知られる『よろしくメカドック』。連載が終わってから30年以上たった今でも、ハチマル車ファンたちに語り継がれている名作だ。ここでは、『よろしくメカドック』の生みの親・次原隆二先生のインタビューをお届けする。

【「よろしくメカドック」次原隆二スペシャルインタビュー Vol.1】

『サーキットの狼』や『赤いペガサス』などに端を発するクルマ漫画だが、ハチマル世代にとっては、『よろしくメカドック』が最高のチューニングバイブルだった。この名作を生み出した次原隆二先生は、どのような思いで描きあげたのか。 

世の中にはさまざまな漫画があるが、どのようなきっかけでクルマ系にたどり着いたのだろうか?

「大学受験に失敗して進学をあきらめ、手に職をつけようということで自動車整備士の専門学校に入学したんです。そんななか、1年生の夏休みに初めて漫画を描いて応募したら入賞しちゃって。それから編集部の人と付き合うようになったので漫画家の道を考え、学校も辞めようとしました。ただ、『整備士の免許を取っておけば、漫画家がダメでもほかに道はある』という両親の勧めから、学校も卒業し、2級整備士の免許も取得しました。

その後、原作賞に入ったバイクものの作品を漫画化してみないかという話をいただき、実家にいながらアシスタントなしでやってみたんです。そうしたら14週くらいで終わってしまって。そこで、次に挑戦するときは人と同じことをしてもダメだと思い、他人になく自分にある武器はなにか……と考えたら、クルマの知識だったんです」。

【画像14枚】クルマ漫画を代表する名作のひとつ「よろしくメカドック」の生みの親、次原隆二先生


次原隆二(つぎはら りゅうじ)

1958年福岡県生まれ。80年に週刊少年ジャンプの『暴走ハンター』でデビュー。82年には同誌で『よろしくメカドック』の連載を開始。クルマ好きの少年たちから絶大な支持を集めた。代表作として、『日本国初代大統領 桜木健一郎』『ロードランナー』『レストアガレージ251車屋夢次郎』『内閣総理大臣 桜庭皇一郎』などがある。

【2】へ続く

初出:ハチマルヒーロー vol.044 2017年11月号
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

「よろしくメカドック」次原隆二スペシャルインタビュー(全5記事)

TEXT:HIDEO KOBAYASHI/小林秀雄 PHOTO:MOTOSUKE FUJII(SALUTE)/藤井元輔(サルーテ) COOPERATION : MIZUKAMI AUTO/水上自動車工業

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