理想的な市販レーシングカーのモデルとして仕上げられていたポルシェ906|日産R380 vs カレラ6(906)【3】

1966年の規定改定に従い、年産50台以上を必要とする市販レーシングスポーツとして開発された906。動力性能、ハンドリング性能が高次元でバランスした優秀な車両だった。

       
日産、正確にはプリンス/日産とポルシェは、日本のモーターレーシング史において、因縁浅からぬ関係で推移してきた事実を持っている。また日産にとってのポルシェは、ライバルであると同時に手本とする先達でもあった。今回は、その発端となったスカイラインGT対ポルシェ904 の鈴鹿対決を手始めに、両軍のレーシング対決を時系列に沿って紹介していこう。

【特集:日産vsポルシェ 日産R380 vs カレラ6(906)vol.3】

 一方のポルシェは904の後継モデルとなるサーキットレース専用のレーシングスポーツを開発。これが906で、グループ4規定の車両だった。

 906は、1963年に発表された356の後継車911用の水平対向6気筒901系の改良型となる901/20型エンジンをミッドシップマウントする車両で、鋼管スペースフレームにFRPフロアを貼り付ける車両構造で造られている。信頼性が高く、メンテナンスが容易な市販レーシングカーながら、基本性能も第一級という理想的なモデルとして仕上げられていた。

 ただし、完全に白紙ベースの設計ではなく、904用の残りパーツを利用しなければならないという制約もあった。15インチホイールやサスペンションパーツは904用の流用だった。

 日本への導入第1号車は、後のタキレーシング創設者である滝進太郎が購入した車両で、1966年の第3回日本グランプリ参戦がその目的だった。

 エンジンは水平対向6気筒SOHCにウエーバートリプルチョークのダウンドラフト型を2基装備。210psの出力値は長距離耐久を前提とした仕様としては、当時のトップレベルだった。
 
906は、その後数年にわたって日本国内のレースで活動するが、いわゆる第一線の戦闘力という意味では、R380との直接対決となった66年と67年の2シーズンと見てよかった。

 1966年はプリンス勢のチームプレーに阻まれたこともあったが、根本的にはプライベーターによるチーム態勢の不備が敗因となっていた。

 1967年は生沢、酒井も加わったトリオ態勢となり、空力対策も施すことで戦闘力を引き上げ優勝を果たした。

【画像8枚】ポルシェ906は、市販レーシングカーながら高い基本性能を有した理想的なモデルに仕上げられていた


>>906は空力実験車としても活用された。日本導入車はすべてショートノーズ/ショートテール仕様だったが、このほかロングノーズ仕様、ロングテール仕様も開発され使われた。


>>左ハンドルでデザインされたコックピット。910まで左ハンドルだが、右回りのサーキットが多いことから907以降右ハンドルとなる。


>>エンジンは911用に開発された1991cc空冷水平対向6気筒SOHCの901/20型。ウエーバートリプルチョーク2基で210psを発生。


【1】【2】から続く


初出:ノスタルジックヒーロー2018年10月号 Vol.189
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

日産R380 vs カレラ6(906)(全3記事)

関連記事:日産vsポルシェ

関連記事:日産

tete&photo:Akihiko Ouchi/大内明彦

RECOMMENDED

RELATED

RANKING