ファーストモデルは「零」。P‐2のネーミングの由来|半世紀にわたる伝説「童夢」の生き証人 P-2 & マクランサ Vol.3

ウエッジシェイプを基調にデザインされた零&P-2。停止状態でも存在感を示すが、走行時の姿はスピード感に満ちたフォルムと映る。

       
半世紀前カスタムレーシングカー「カラス」でレース界に参入。
40年前カスタムカー「童夢-零」で童夢を起業した林みのる。
日本のモータリゼーション史において伝説的存在の童夢は名車の数々を輩出。
そのうち節目の車両、P-2とマクランサが姿を現した。童夢にかかわる歴史プロジェクトを推進する
2016年「アウト ガレリア ルーチェ」が手掛ける2台で鈴鹿ツインサーキットを実走。
当日現場を訪れた当事者、林みのるも感慨深げな様子だった。

【半世紀にわたる伝説「童夢」の生き証人 P-2 & マクランサ Vol.3】

【2】から続く

 P‐2のネーミング由来はプロトタイプ2号。ジュネーブショーでお披露目した「零」がP‐1というということになるようだ。零はレーシングユースも考慮したため、鋼板モノコック構造のシャシーで設計されたが、P‐2は量産を視野に入れたため鋼管スペースフレームに構造変更を受けていた。

 注目点は、アメリカの、主に安全規定に合致させるため、バンパーやライトの位置が引き上げられたことで、零をベースにこの個所だけ対策するとデザインバランスが崩れてしまうため、林は零のイメージを残したまま新規にP‐2をデザイン。このため零とP‐2で互換性のあるボディパネルはひとつもないという。

 エンジンは日産L28型。1979年という時代背景を考えれば、不可避の選択肢だったことが分かるだろう。排ガス規制まっただ中で、入手が容易な国産エンジンはどれも70年代初頭と変わらぬ状態。この時代、ヨーロッパの主力スーパースポーツは4~5L級のエンジンを採用。しかし、日本に目を向けると3L級のエンジンすらなく、信頼性、メンテナンス性、入手性の点からL28型が選ばれたものだ。


>>【画像15枚】この車両の企画があと5年違っていたら、まったく異なったエンジンをいただいていただろう日産L28型ウエーバー仕様のエンジンなど


 製作当時はECGI仕様だったが、もはや制御ユニットが機能せず、代替品もないことからウエーバーキャブ3連装に変更されていた。経時変化で電子制御ユニットが機能しなくなった場合、交換品がないことから車両そのものを諦めざるを得ないケースが生まれてくる。とくに現代の車両のように、あらゆる機能を集中一括制御しているような場合には致命傷だろう。そこへいくと、燃料供給系だけ電子制御というこの時代は、キャブレターという頼もしい味方がいるだけに心強い。P‐2もキャブのお陰でよみがえった。
(文中敬称略)




ウエッジシェイプを基調にデザインされた零&P-2。停止状態でも存在感を示すが、走行時の姿はスピード感に満ちたフォルムと映る。
 



こうして見ると極端に低い車高を意識させないが、そのことが逆に、デザインバランスのよさを示す結果になっている。


初出:ノスタルジックヒーロー 2016年12月号 vol.178(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

半世紀にわたる伝説「童夢」の生き証人 P-2 & マクランサ(全4記事)

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【1】【2】から続く

text & photo:AKIHIKO OUCHI/大内明彦

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