ポルシェ904とのデットヒートにより問い合わせが殺到し、スカイラインGTは市販化された|スカイラインGT(S54)vs カレラGTS(904)【2】

第2回日本グランプリGT-Ⅱ部門参戦の生沢徹車を復元したスカイラインGT。内外装についてはほぼ忠実な再現を試みたという

       
【特集:日産vsポルシェ スカイラインGT(S54)vs カレラGTS(904)vol.2】

 第1回日本グランプリはメーカーの直接関与が禁止されていたため、とくにメーカーとして準備することもなく、その結果大敗を喫したプリンスは、第2回日本グランプリを迎えるにあたり、ワークスチームを結成。車両もワークスが手掛けT-Vクラスにスカライン1500(S50D)、T‐Ⅵクラスにグロリア(S41)を大挙エントリー。そのかいあって両クラスとも圧勝したが、プリンスの狙いはGTクラスだった。

 内外の高性能車が参戦するこのクラスで勝ってこそ価値がある、と判断したプリンスは、スカイライン1500のエンジンベイを約200ミリ延長し、グロリア用G7型直列6気筒2Lエンジンを無理やり搭載するという荒業により、100台限定でスカイラインGT(S54A-1型)を製作した。

 企画当時は市販を考慮せず、グランプリ対策車として位置付けていたが、敗れたとはいえ格違いのポルシェ904と演じたデッドヒートが話題となり、プリンスに問い合わせが殺到。

 翌65年2月にグランプリ時の基本仕様に準じたスカイライン2000GT(ウエーバーキャブ3連装)を発売、さらに同年9月にはシングルキャブ仕様のGT-Aを追加。これに合わせてウエーバーキャブ装着車をGT-Bと名称変更していた。

 レーシングスカイラインは、翌65年から一般にも供され、鈴鹿、船橋、富士でのT/TSレースに参戦。排気量2000ccを上限とするT‐Ⅱクラスで圧倒的な強さを発揮。同クラスの全日本タイトルを連続して獲得。

 対抗馬は当初ベレットGTだったが、68年トヨタGT1600の登場によって王座にピリオドが打たれた。  

【画像26枚】格違いのポルシェ904とデットヒートを繰り広げたスカイラインGT。プリンスには問い合わせが殺到した


>>グロリア用G7型SOHCエンジンにウエーバーダブルチョークキャブを3連装。まさにスカイラインGTの神髄で、このパワーユニットがツーリングカーの王座をもたらした。生沢さんのサイン入りシリアルプレートは、最初期モデルであることを示すS54A-1型の表記となっている。


>>ダッシュボード回りはオリジナルのまま。唯一ステアリングホイールだけがスポーツタイプに交換されている。


>>ボンネット先端のプリンスマークと左右フロントフェンダーに装着された「GT」エンブレム。高性能仕様車に使われた赤/白エンブレムは、後に市販されたウエーバーキャブ3連装のGT-Bに使用。半年ほど遅れて追加されたシングルキャブの普及モデルGT-Aが青/白を使った。





OWNER

この車両の復元を行ったのはこれまでにも多数のプリンス車および日産車を手がけてきたプリンスガレージかとりの香取孝社長。写真は撮影に協力いただいたテクニカルショップ リミットのタクミくん。



【3】へ続く


初出:ノスタルジックヒーロー2018年10月号 Vol.189
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

スカイラインGT(S54)vs カレラGTS(904)(全3記事)

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text&photo:Akuhiko Ouchi/大内明彦 photo:Ryota Sato/佐藤亮太 Cooperation:Hero Sinoi Cuicuit/ヒーローしのいサーキット

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