全日本ロードレース選手権クラス2連覇! ヨシムラ伝説のエース辻本聡|オートバイレースライダー レジェンドファイル 【vol.1】

スズキGSX-R750Rと辻本聡さん

       

この2年間の活躍によってヨシムラのエース辻本は87年よりAMAスーパーバイク選手権に全戦出場が決定。同年3月の前哨戦「デイトナ200マイルレース」で2位に入る活躍をみせる。
1987年のAMAスーパーバイクはたび重なるけがで往年の力に陰りが見えていたフレディ・スペンサーに代わり新たなホンダのエースライダーとなったウェイン・レイニー、後にレイニーの永遠のライバルとなるケビン・シュワンツ。そのシュワンツよりも速いタイムを叩き出していた辻本の3人がチャンピオン候補だった。

開幕戦では外国人枠で出場し、ゼッケン604だった辻本は、ロード・アトランタからAMAライセンスを取得しゼッケン114に。しかし、重量違反で出場ができず、実質的な辻本の開幕戦となるブレイナードを迎える。
事件はレース前日のフリー走行時に起こった。先導で走っていたシュワンツが転倒。後ろにいた辻本はマシンに乗り上げ大事故となり、頸椎と左足首を骨折。このレースはもちろん、その後の出場もできなかったが翌年復帰、89年の全日本GPにも出場している。
85年から87年に至る辻本の活躍は、日本人ライダーが世界に最も近付いた瞬間だったと言える。もしこの事故がなかったら、ここから数年間の歴史は大きく変わっていたであろう。


>>デイトナ200マイルレースに初挑戦した当時の写真。


>>1985年にシリーズチャンピオン獲得したため、1986年シーズンはゼッケン1を付けたスズキGSX-Rに搭乗した辻本さん。この年もチャンピオンを獲得し、2連覇を達成。AMAスーパーバイクへのフル参戦を獲得し、世界進出の筋道を作った。

日本人が世界で活躍するのは、91年に上田昇、坂田和人、若井伸之。93年に原田哲也、岡田忠之、青木3兄弟が世界へと飛び出してから。やがて表彰台を日本人が独占する時代がやってくるが、まだ長い時間がかかるのである。
その後、辻本は鈴鹿8耐11回出場をはじめ、2014年まで現役レーサーとして活躍。現在はレース解説者として、カフェ「PILOTA MOTO」の店長として、今も昔と変わらずにバイクに関わっているのである。

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