ロータリーエンジンの証明のためにレースに出る| 「ロータリーの語り部」松浦國夫さん、創成期のレーシング活動を振り返る Vol.2

「ロータリーの語り部」松浦國夫さん、創成期のレーシング活動を振り返る Vol.2

       
東洋工業(現・マツダ)に入社以来、ロータリーエンジンひと筋、それもほぼレーシングロータリーの開発に専従してきた松浦國夫さんに、活動初期の話を2017年にうかがった。そのお話を4話構成でお伝えする。ロータリーエンジンの開発が紆余曲折の連続だったことはよく知られるとおりで、モーターレーシングは性能の極限領域を確かめる目的で積極的に活用された。しかし、すべてが未知のエンジン。通常では思いもよらぬことが、当たり前のように起きていたという。

【 「ロータリーの語り部」松浦國夫さん、創成期のレーシング活動を振り返る Vol.2】

【1】から続く

 エンジン開発に関して、現場でのおもしろいエピソードを聞かせてもらった。マツダのファクトリードライバーといえば片山義美さんがその筆頭だが、テスト走行時の走りが他のドライバーとは精度が違っていた、というのだ。

「サーキット走行時のエンジン温変化をデータにして収集しようとしたときです。当時は、現在のようにテレメーターシステムやデータロガーなどありませんから、アナログの計測器を抱えて助手席に座るわけです。そして走行中、所定の計測ポイントに差しかかると計測器の数値を確認して記録する。こうした作業を何周かにわたって繰り返すわけですが、片山さんの走りは走行ラインが毎周同じ。違ってもタイヤ幅半本分、1本分の差で、収集データの正確性、信頼性が非常に高くなるのです。これはすごくありがたかった」

 隔世の感がある開発テストの様子だが、こうした作業を繰り返すことでロータリーは熟成していった。
「ニュルブルクリンクで84時間をこなしたわけですから、エンジンに関してはそれなりの信頼性、自信があったわけです。ところが、ファミリアロータリーで臨んだスパ24時間で、見事に足元をすくわれまして……。当時はチーム優勝という冠タイトルがありまして、チーム上位3台の成績を総合して争われるものでした。マツダはこのレースに新車のレースカーを3台(ボンネット色:赤、青、緑)準備。抑えとしてレース歴のあるファミリア(白)を1台追加。目標とする相手はBMWでした。そしてレース中、一時1、3、5位を占めることもあったんですが、相次いでローター回りのギアが破損。気がつけば全車リタイアという事態に追い込まれてしまった。結果的に、最上位を走っていた1台が、チェッカー間際に1周を回ってくれば、それまでの貯金で総合5位になる、と主催者側から説明があり、完走扱いで総合5位にはなりましたが、順位よりも、エンジン本体が壊れたことの方がショックでしたね」

>>【画像11枚】787B用R26B型4ローターエンジンなど

 松浦さんいわく、マツダがレースに出る目的は、ロータリーエンジンがちゃんとしたエンジンであることを証明するためだから、エンジンが壊れてリタイアするというのは最悪の事態。絶対に避けなければならないことだった。しかしながら、逆にこれが教訓になったからこそ1991年、787Bによるル・マン制覇があったという。



1970年、ベルギーのチームがシェブロンB16に10A型ロータリーを搭載してル・マンに参戦。松浦は立ち会うかたちで現地を訪れている。記念すべきル・マンとの出合いだ。



【3】に続く

初出:ノスタルジックヒーロー 2017年8月号 Vol.182
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

「ロータリーの語り部」松浦國夫さん、創成期のレーシング活動を振り返る(全4記事)

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【1】から続く

text:KEISHI WATANABE/渡辺圭史 photo:Mazda Motor Corporation/マツダ

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