幻の名車 日産 MID 4|突然の終焉を迎えた、開発プロジェクト|日産 MID 4-Ⅱ

ピラーを細くデザインし、リアビューも薄くデザインすることで軽快感の強いフォルムとなった。全幅が広がったことと相まって印象が大きく変わっている。リアエンドのエキゾーストは左右出しだ。

       
すぐに販売できるほどの完成度を誇っていたMID4は、突然の生産中止によって世に出ることのなかったクルマだ。
当時として画期的なシステムを持つMID4は、現在もひっそりと存在している。その幻の名車の全容を紹介しよう。

【日産 MID 4-Ⅱ Vol.3】

【2】から続く

 レイアウト変更に加え、社内からデザインに対する要望も出されたので、これも大幅に変えている。2代目は初代MID4より伸びやかで抑揚のあるシルエットだ。フロントマスクだけでなくリアビューも大きく違う。インテリアもラウンド感の強い洗練されたデザインへと進化している。

 デビューは、1987年秋に開催された第27回東京モーターショーの日産ブースだ。最初のMID4にも増して注目度は高く、正式発売を望む声も日ごとに高まっている。ジャーナリストや報道陣を招いて、日産の追浜テストコースで試乗会まで催したから、発売への期待は一気に膨らんだ。

 だが、MID4の開発プロジェクトは突然の終焉を迎え、闇に葬り去られる。障害となったのは技術的な問題ではなく、日産の社内事情。MID4の発売に異を唱える抵抗勢力が事業計画を握りつぶしたのだ。もし発売されていれば、日産だけでなく日本が誇る名車になっていたはずだ。(本文敬称略)


>>【画像21枚】ミッドシップカーであることを誇示するためにエンジンルームの一部を見せる演出や、リアクオーターガラスの後ろに設けられたブラックアウトしたエアインテークなど





ボンネット上のスリットやダクトがなくなりスッキリとしたデザインに。ポジションランプやターンシグナル、フォグランプなども一体デザインだ。




ドアミラーの形状も変わった。空力性能と風切り音の低減を狙い、ステーの間にスリットを設けた





櫻井眞一郎さんに呼ばれ、MID4の製作を依頼をされた古平勝さん。もともと海外でのラリー活動などの実績があったことから抜擢されたとのこと。隣は本文を執筆した片岡英明さん。クルマ関連のイベントやレースなどで一緒になることが多く、交流がある。




古平さんの下でMID4開発チームに所属していた三村公明さん。MID4の試作車はまさに三村さんの手によって製作。MID4の開発当時を知る人物だ。ちなみに現在残されているMID4-Ⅱは今回撮影した1台のみ。日産座間記念庫に収められている。



初出:ハチマルヒーロー 2014年 11月号 vol.27(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

日産 MID 4-Ⅱ(全3記事)

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【1】【2】から続く

text : HACHIMARU HERO/編集部 photo : MASAMI SATOU/佐藤正巳

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