「よろしくメカドック」SPLインタビュー【8】「クルマ選びの基準はメカニズム的な部分で」クルマに対してあくなき探求心を持っている「メカドック」の生みの親

デスクの上には、メカドックのミニカーがいくつも積まれていた。

それまでのクルマ漫画とは異なる、チューニング系クルマ漫画の草分け的存在として知られる『よろしくメカドック』。連載が終わってから30年以上たった今でも、ハチマル車ファンたちに語り継がれている名作だ。ここでは、『よろしくメカドック』の生みの親・次原隆二先生のインタビューをお届けする。

【「よろしくメカドック」次原隆二スペシャルインタビュー Vol.8】

【画像14枚】クルマ漫画を代表する名作のひとつ「よろしくメカドック」の生みの親、次原隆二先生
そのあとはレガシィランカスターに乗り換えたんですが、それは水平対向エンジンに乗ってみたいということがきっかけでした。それからスバルにハマり、今度は6気筒に乗りたくてアウトバックに代え、アイサイトってどんなものかなということで、今はレヴォーグに乗っています。

こんな感じで、デザインの好き嫌いはもちろんあるんですが、クルマ選びの基準はメカニズム的な部分に食指が動くんです」。

クルマを選ぶ基準がデザインや性能ではなくメカニズムというのは、本当のクルマ好きという証拠。また、クルマに対しての探究心の強さという部分も大きいのだろう。そして、

「『レストアガレージ251車屋夢次郎』(2001年より週刊コミックバンチで連載)を描いていたときも、変わった機構のクルマを見て最初は『なんだこのクルマ??』と思うんですが、連載が終わる頃には好きになっていたりするんですよ」。

まさに根っからのクルマ好き、そしてメカ好きである。

ところで、メインキャラクターのモデルとなった人物はいたのか?

「特別それはありませんが、最初はもっとハードなキャラクター設定だったんですよ。ただ、当時の編集者から「次原さんの絵柄だったらそんなハードな感じではなく、もっと明るいタッチのほうがいいよ」と言われたので、ちょっと方向性を変えてタッチも朗らかにし、松桐坊主などのおちゃらけキャラを出してみました。ただ、メインのキャラクターは最初から3人グループだったような記憶があります」。

次原隆二(つぎはら りゅうじ)

1958年福岡県生まれ。80年に週刊少年ジャンプの『暴走ハンター』でデビュー。82年には同誌で『よろしくメカドック』の連載を開始。クルマ好きの少年たちから絶大な支持を集めた。代表作として、『日本国初代大統領 桜木健一郎』『ロードランナー』『レストアガレージ251車屋夢次郎』『内閣総理大臣 桜庭皇一郎』などがある。


【9】へ続く

初出:ハチマルヒーロー vol.044 2017年11月号
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

「よろしくメカドック」次原隆二スペシャルインタビュー(全5記事)

TEXT:HIDEO KOBAYASHI/小林秀雄 PHOTO:MOTOSUKE FUJII(SALUTE)/藤井元輔(サルーテ) COOPERATION : MIZUKAMI AUTO/水上自動車工業

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