ベースの塗装も終え各部の組み付けを開始【2-1】KP47DOHCスターレット復元作業 byトムス

       
4バルブDOHCを積むKP47スターレットのトムスによる復元作業を追った2017年からのシリーズ第2弾。素性のよい車体に恵まれ、トムススターレットの復元作業は順調にその第1歩を踏み出した。下地処理も済み、塗装に出したボディはきれいな仕上がりを見せてトムスのワークショップに戻ってきた。パーツ調達に苦労しながらも、外装、エンジン、駆動系、サスペンションと復元作業は進み、日々スターレットの形は整っていった。

【2-1 期限を切らず内容優先の復元作業 KP47DOHCスターレット復元作業 byトムス】

 振り返ってみると、現存するトヨタ系のツーリングカーは数少ない。個人で所有されるものについては確認のしようがなく、またあっても、言葉は悪いが、ジャンク状態である場合を多々見受けるからだ。

 面白いもので、現役当時は後継車が登場すると相対戦力が低下し、レーシングカーとしての価値は半減してしまうのだが、現役を退き時間を経ることで、今度は歴史資産としての文化的な価値が新たに生じてくる。

 こうした意味では、16バルブKPスターレットは、数あるツーリングカーの中でも特別な存在である。レーシングカーとしての使用期間、戦績、技術的な特殊性、特定少数という希少性など、量産車ベースのレーシングカーとしては、特異な存在となっている。


>>【画像22枚】オーバーホール作業を受け、車体への搭載を待ち、ワークショップの片隅に置かれていた、トムスに長年保管されていた137E型エンジンなど


 車両コンセプトとしては、日産が現有するサニーエクセレント16バルブ仕様車が最も近い存在だが、使用期間の長さやワークス放出が行われたという点で、スターレットが持つレーシングカーとしての価値は傑出する。
 トヨタ17技ワークスカーとして、1973年に1レースだけ使われたKP47スターレットは、1975年にトムス、桑原自動車に引き渡され、それぞれ富士スピードウェイ、鈴鹿サーキットをホームグラウンドにチャンピオン街道をばく進することになる。

 トムス車は、1975年から1979年まで、富士GCシリーズのサポートレース、富士マイナーツーリングを中心に参戦活動を行い、1975〜1977年は鈴木恵一、1978〜1979年は星野薫がドライブし、シリーズタイトルも獲得している。

 そのトムス車、元をただせば1973年のデビュー戦で舘信秀が操った車両。舘自身も、このKP47スターレットの再デビュー戦となる1975年の日本グランプリで勝っている。しかし、1979年いっぱいで現役を退いた後、車両の消息は不明となる。

 今回、復元を手掛けるきっかけとなったベース車両は、すでに故人となられた方が強い愛着をもって保管されていた車両で、それがトムスの元に届けられたというエピソードを持つ。

 折しも、トムスにも自分たちの社史の礎となるKP47スターレットを復元したいという思いがあり、本格的な作業が立ち上がった。幸いなことに、最大のポイントとなる137E型エンジンは手元にあり、また量産仕様の復元ではないので細かな装備類は不要だったが、ウインドーガラスなど不可欠なパーツの調達が課題になっていた。まずは、その作業を見てみよう。



>> 塗装作業から戻ってきたボディ。さすがにきれいな仕上がりだ。エンジンベイとフロントフレーム右前部。ここは腐食が見られた部分だが、根本から対策が施されている。





>> ダッシュボードはオリジナルを使用。レギュレーション(グループ2)で、この部分の変更は認められていなかったのかもしれない。ダッシュボードの状態は悪くない。



Vol.2 に続く

初出:ノスタルジックヒーロー 2018年2月号 Vol.185
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

KP47DOHCスターレット復元作業 byトムス 【 2 】(全4記事)

関連記事:KP47DOHCスターレット復元作業 byトムス

関連記事:スターレット

text & photo:AKIHIKO OUCHI/大内明彦

RECOMMENDED

RELATED

RANKING