レジェンド・ドライバーが語る、フェアレディZの鼓動【2】Z432‐Rは振動が大きい、だから240Zに主役を譲った

店内には当時使っていたバイク、ヘルメット。そしてS30フェアレディZのミニカーが展示。居心地の良い空間だ

       
スカイラインと並び、日産のスポーツカーを代表する存在であるフェアレディZ。販売的にも成功したが、数多くのレースシーンで活躍。そんな当時のS30フェアレディZでの活躍を、レジェンド・ドライバーの3人に語ってもらった。

【レジェンド・ドライバーが語る、フェアレディZの鼓動 Vol.2】

【1】から続く




柳田と桑島、伸び盛りの二人を、ブラジルのレースに招聘

清水 その年の暮れには二人揃ってブラジルに行き、Z432‐Rでレースをしているよね。あれは!?

桑島 12月だったかな、ブラジルに行ったのは。コッパ・ブラジル・インターナショナルに招待されたんだ。

桑島 SCCN(スポーツカー・クラブ・オブ・ニッサン)から推薦され、ボクと柳田くんがブラジル遠征のドライバーに選ばれたんだよね。

柳田 ボクは予選で速かったけど、決勝レースではいいところがなかった。リタイア続きだったんですよ。だが、思い切りのいいアグレッシブな走りが日産の関係者の目に留まったのでしょう。選ばれましたね。レーシングクオータリーの橋本隆資さんが手続きのほとんどをやってくれたように思います。

桑島 これはブラジルとしては初めての国際レースだったんだよね。ブラジルの銀行がスポンサーだった。

柳田 だけど予算がないということで1台だけブラジルに持って行くことになった。よく覚えていないが、ボクのZ432‐Rを空輸し、これをレースごとに二人で乗ったんだよね。

桑島 行きだけ空輸だったね。あのレースには、この年、F1ドライバーになり、アメリカグランプリで優勝を飾った地元の英雄、エマーソン・フィッティパルディも出場していた。

柳田 彼はローラT210で出場したけど、速かったね。マシンもよかった。優勝です。ボクたちは7位だったかな。

桑島 初めてのことばかりだったけど、刺激的だったね。ブラジルまで30何時間かのフライトですよ。遠かったね。でも、これが翌年からヨーロッパで武者修行することにも繋がっていった。

柳田 あと1年くらい日本でレースをやってほしかったよね。


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Z432‐Rは振動が大きい、だから240Zに主役を譲った

柳田 Z432‐Rはメカニズムは凝ったものだったし、パワーも出ているけど振動が大きかったね。振動が出て、リタイアすることが多かった。ある時、久保田洋史くんのGT‐Rに乗せてもらったんだけど、スカイラインは振動が出ないんだよ。GT‐Rは振動が出ないし、乗りやすかったね。ただし、Zと比べると富士スピードウェイで1、2秒遅いんだよ。

桑島 アンダーステアとオーバーステアが極端だったね。ステアリングもメチャクチャ重かったね。

柳田 じゃじゃ馬だったけど、Z432‐Rは楽しいクルマだった。あのマシンを上手に乗りこなせれば、どんなクルマでも乗れたよね。当時はタイヤも進化していった時代だったけど、セミスリックからスリックになり、グリップ性能が飛躍的に向上した。

桑島 30何年か振りにサーキットを走ったんだけど、最近のタイヤはすごいね。最初は怖くてコーナーを攻めることができなかった。Zでレースをやっているときはハンドリングもタイヤも不満だらけだった。柳田くんにも負けたくない、とライバル意識むき出しだったよね。

柳田 今と違ってレーサー同士の仲が悪かったよ。Zでレースやっている時はライバル意識がとても強かった。

桑島 柳田だけには負けまい、と思っていたんだよ。25、26歳になって性格が丸くなったね。

清水 当時のニッサンワークスは上下関係が厳しく、速いドライバーが多かったからね。気がつくと、すぐ真横にマシンがあるんだ。長谷見昌弘さんと星野一義さんはすごかったね。

桑島 ボクはZ432に乗った後、ヨーロッパに行ったからZとの縁は途切れてしまった。だけど変わったZに乗ったこともあるんだよ。プレジデントの直列6気筒、3Lエンジンを東名エンジニアリングがチューニングしたストックカーがあったのだけど、これをZに移植したマシンを見ましたね。レースでの240Zはどうなの。

柳田 清水さんはフォーミュラのFLに乗っているイメージが強いんだよね。FLでは強かったよね。

清水 Zは240Zになってからレースに出場したんですよ。東京日産と一緒になってレース活動を行ったのですが、Zのときはお二人とはレベルが違うところで走っていた。FLを手に入れてから本当に戦えるようになりました。Zのときは、今と違ってシビアではなかったからね。

柳田 速く走るためにボディを酸につけて薄くするなど、いろいろなことをやっていたからね。

清水 L24型直列6気筒エンジンはトルクがあって乗りやすかった。S20型エンジンは9500回転くらいまで回せるけど、L24型は7500回転止まりなんですね。でもサーキットでは扱いやすかった。
桑島 S20型は高回転は得意だけど低回転域のトルクは薄いんだ。

柳田 ブローした時の壊れ方も違うよね。熟成の域に達してからのL型6気筒はよかったね。とくにクロスフローにした2.8Lエンジンはよかった。あのころはロータリー勢との争いになっていたけど、実質のワークスでしたからね。本気で頑張ったよね。

清水 Gノーズは富士スピードウェイで効果が大きかったね。

柳田 鼻先は重くなっているけど、ストレートで5km/hは速かったね。

清水 Zはセッティングがなかなか決まらなかったよね。

柳田 加速するとフロントが上がり、アクセルをグッと踏み込むとアンダーステアになってしまうんだ。ホイールスペーサーでワイド化し、ピロボールにしてハンドリングを改善したんだ。キャンバーもうまくつけられるようになったから、後半はハンドリングがよくなり、かなり速く走れるようになった。当時はサスペンションもガチガチに固めていたね(笑)。

桑島 あの時代は、みんなが日産のワークスドライバーを夢見ていたんだ。が、オイルショックが来て、その目標が吹っ飛んでしまった。

柳田 そうだね。オイルショックに見舞われた大変な時代だった。でも、だからZの柳田になることができたとも言えるんだ。

清水 ある意味、70年代は、いい時代だったと思いますね。



INFORMATION/林檎屋




フェアレディZの使い手がシェフに転身しオープンさせたステーキレストラン

富士スピードウエイから近いこともあり、多くのサーキット関係者が訪れるステーキハウス。味にうるさいレジェンドドライバーも常連客として名を連ねていることからも、レベルの高さがうかがい知れる有名店だ。



林檎屋
〒412-0026
静岡県御殿場市東田中3376−245
営業時間 : 11時30分~21時00分
TEL 0550-84-1473
FAX 0550-84-1485
http://www3.tokai.or.jp/ringo8/




初出:ノスタルジックヒーロー 2017年8月号 Vol.182
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

レジェンド・ドライバーが語る、フェアレディZの鼓動(全2記事)

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【1】から続く

photo:RYOTA-ROW SHIMIZU/清水良太郎、NOSTALGIC HERO/編集部 text:NOSTALGIC HERO/編集部

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