マツダK360【1】満を持して東洋工業(マツダ)が送り出した「ケサブロー」ことK360|1959年式 マツダ K360

ライト周りに取り付けられたゴムは代用品を利用しているが、純正品のように馴染んでいる。フロントフェンダーのサイド側、ウインドーの下部には外気を取り込む開閉式の吸気口がある

       
マツダK360【1】

1960年代を目前に、商店や農家にモータリゼーションの波が押し寄せていた当時。オート三輪として親しまれた自動三輪車が爆発的に増え、運搬車のなかで、もっとも保有台数を占めることになっていく。
クルマも進化し、バイクのようなバーハンドルから丸ハンドルへ変わり、室内は四輪車同様の居住性に近づいて、オート三輪は大きな転換期を迎えていた。
なかでも、個人商店などに重宝されたのが、小回りがきく、小型タイプのオート三輪だった。

【画像16枚】ミゼットなどとともに戦後日本の路地を駆け抜けたマツダK360。そのフロントカバーを開けると、しっかりとサスペンションの効果が分かる足回りが見える

当時、0.75トン未満のコンパクトな小型オート三輪といえば、ダイハツのミゼット、三鷹富士工業のムサシ、ホープ自動車のホープスター程度であった。しかし、59年に、愛知機械工業のヂャイアントコニー、新三菱重工業のレオ、三井精機工業のハンビー、そして、東洋工業(現マツダ)のマツダK360が次々と追加されると、同カテゴリーの層は厚くなり、人々の生活の中に広く浸透。豆トラックと呼ばれ、生活の中で親しまれる存在になっていった。
その中でも特徴的だったのが東洋工業であった。戦前から同社ではオート三輪を製造しており、戦後は大型の三輪トラックを中心に業界トップの一角を担っていた。
小型のオート三輪では後発となったマツダK360のリリースは満を持して小型車市場への参入、というタイミングだった。市場ではオート三輪が大型化していく一方で、戸別の配達などで路地を走れる小型車が求められていた時代。その波に乗って、乗り心地や使いさすさが豆トラックには要求されていたのだ。

>>1959年式 マツダ K360。軽オート三輪を代表する1台だ。


>>アオリを開いた荷室は、荷物の積み込みもラクラク。左右はタイヤハウスなどが張り出しているため段差がある。


>>ホイールキャップは本来のK360にはなかったが、T600のモノを流用している。燃料キャップはポーター用を代用。
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【2】へ続く

主要諸元 SPECIFICATIONS
1959年式 マツダ K360(KTBA43)

全長2975mm
全幅1280mm
全高1430mm
ホイールベース2060mm
トレッド後1060mm
最低地上高170mm
荷室長1180mm
荷室幅1120mm
荷室高345mm
車両重量485kg
乗車定員2名
最高速度65km/h
エンジン型式BA型
エンジン種類強制空冷2気筒OHV
総排気量356cc
ボア×ストローク55×75mm
最高出力11㏋
燃焼消費率24km/リットル
変速機前進3段、後進1段
ブレーキ前後ともリーディング・トレーリング
タイヤ前/後5.20-12-4PR/5.20-12-6PR
発売当時価格23万円

【2】へ続く

1959年式 マツダ K360(全3記事)
初出:ノスタルジックヒーロー 2020年4月号 Vol.198

(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)
関連記事:マツダの100年

text:Keishi Watanabe/渡辺圭史 photo:Masami Sato/佐藤正巳

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