ネルソン・ピケのウイリアムズ・ホンダも! レース車両を展示し来場者の目を引いたホンダ|第27回 東京モーターショー1987 ホンダ、スバル編【1】

CR-Xマーシャルカー|派手なクルマはなかったので、モータースポーツの魅力を全面に押し出し、CR-Xもマーシャルカーを展示した

       
【第27回 東京モーターショー1987 ホンダ、スバル編 vol.1】

 昭和の時代が終えんを迎えつつあった1987年は、日本がバブル期の真っただ中にあったときだ。メディアはもちろん、さまざまなムーブメントから多くの情報が発信され、新しい価値観も生まれている。自動車の世界も例外ではない。小型車枠にこだわらないワイドボディや新しいデザイン、軽量な新開発の素材、新しいメカニズムなどが積極的に提案され、採用された。

 第三勢力の体力差と優劣がはっきりし、順位に変動があったのも80年代後半の特徴だ。多くのメーカーがトヨタに引き離され、シェアを下げている。が、ホンダは違う。80年の国内の乗用車販売シェアは6.2%に過ぎなかった。5位のポジションである。が、一気にスパートしてバリエーションを増やし、販売台数を伸ばした。80年代後半には国内でのシェアが10%を超え、トヨタと日産に続くナンバー3の座を揺るぎないものとしている。

 このホンダ、東京モーターショーにはあまり積極的ではない。他のメーカーは、意欲的に新技術を盛り込んだスタイリッシュなコンセプトカーを製作し、目立つ位置に展示した。が、ホンダは市販車を中心とした展示にとどめている。そのため華やかさは薄い。

 そのなかで異彩を放っていたのがモータースポーツ参戦車両である。その筆頭がF1マシンの展示だ。83年にF1に復帰したホンダは、84年に強豪のウイリアムズと手を組み、その年に念願の初勝利をあげた。そして86年、悲願のコンストラクターズチャンピオンに輝いている。翌87年は日本におけるF1元年だ。鈴鹿サーキットで初めてF1が開催され、中嶋悟さんが日本人初のフル参戦ドライバーとなった。

 この年、ホンダのV6ターボエンジンを積んだウイリアムズFW11Bは破竹の快進撃を続け、コンストラクターズチャンピオンとドライバーズチャンピオンの2冠を達成している。ホンダブースには、ネルソン・ピケが乗ったゼッケン6のチャンピオンカー、ウイリアムズ・ホンダと中嶋悟さんがイギリスグランプリで4位に食い込んだロータス99Tが展示されていた。

 また、アメリカのオハイオ工場で生産しているUSアコードクーペを参考出品している。このクルマは88年に左ハンドルのまま発売され、逆輸入車ブームの引き金となった。

【画像11枚】1987年の東京モーターショーで展示された車両など。ホンダは新要素を含んだ目新しい車両を展示しない代わりに実際にF1のレースで使われたウイリアムズホンダの車両を展示し一目おかれた



>>アコードクーペ|オハイオ工場で生産しているUSアコードのクーペを逆輸入。88年に左ハンドル使用のまま販売に移した。



>>87年に2年連続のコンストラクターズタイトルを獲得したウイリアムズ・ホンダ。カーナンバー6はドライバーズタイトルも獲得したネルソン・ピケのマシンだ。

【2】へ続く

第27回 東京モーターショー1987 ホンダ、スバル編(全2記事)
初出:ハチマルヒーロー 2017年3月号 Vol.40
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

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TEXT:HIDEAKI KATAOKA/片岡英明 PHOTO:JAMA/一般社団法人 日本自動車工業会

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