1950年代のクルマ事情【4】スモールカーに新しい流れがみられた1950年代後半、ファミリーカーの時代が幕を開けた

国産車における高級セダンの代名詞的存在へと成長していくクラウンの初代(後期)モデル。当時のトヨタがもてる技術のすべてを注ぎ込んで誕生した1台だ

戦後間もない時期、復興に活躍したオート三輪から路上の主役を奪っていったのが50年代に入って登場したクルマたちだ。今も残る大メーカーから、忘れられた中小メーカーまで、当時活躍した各社のクルマを振り返ってみよう

【1950年代のクルマ事情vol.4】

ひたむきに技術力を高めてきたトヨタは、53年にトヨペットスーパーを発売し、これは55年にタクシー需要を狙ったトヨペットマスターに進化した。そして、この年の1月に発表された画期的な4ドアセダンがクラウンだ。観音開きドアを採用し、シャシーやボディ構造にも新しい技術を用いている。リアに3枚の非対称リーフスプリングを採用するとともに、前輪には日本で初めてダブルウイッシュボーンの独立懸架を採用した。エンジンは1.5Lの直列4気筒OHVだ。今につながる日本の高級車の扉を開いた名車がクラウンだった。

同じ55年の1月、日産も進歩的なファミリーカー、110と呼ぶダットサン・セダンを送り出した。860ccの4気筒サイドバルブエンジンを積み、サスペンションは横置きリーフスプリングによるリジッドアクスルだ。57年秋にはC型4気筒OHVエンジンを積むダットサン210へと発展する。 

50年代後半、ファミリーカー時代の幕が開けた。ダットサン・セダンの後継が59年に送り出されたブルーバードだ。クラウンとブルーバードは海外へも輸出され、日本車の優秀性を強くアピールしている。また、ブルーバードは57年に登場したトヨペット・コロナと激烈な販売合戦を繰り広げ、マスコミは「BC戦争」とはやし立てた。中島飛行機を母体とする富士精密工業も52年に皇太子礼を記念して「プリンス」を冠した上質で高性能なセダンを発売している。エンジンは1.5Lの直列4気筒OHVだ。この技術の流れを汲むスカイラインは57年春に送り出され、世界との差を一気に縮めていく。

スモールカーに新しい流れが見られるのも50年代後半の特徴だ。通産省の国民車構想を受け、軽自動車や500ccクラスのスモールカーが数多く試作されている。シンプルにこだわった設計のフライング・フェザーやユニークな三輪車のフジキャビン、シティコミューター的な性格のオートサンダル、ATをいち早く採用したミカサ・ツーリングなどが登場した。だが、その多くは少量生産にとどまり、数年もしないうちに市場から姿を消している。

4人が乗れる量産タイプの軽自動車として成功を収めるのは、55年に登場したスズキのスズライトSSと58年に登場したスバル360だ。まだ、主役は軽商用車だったが、軽乗用車ブーム、マイカーブームの呼び水となった。50年代に試行錯誤しながら挑み続けた国産乗用車の努力は、次の60年代に開花し、多くの名車を生み出すのである。

【画像7枚】1950年代後半に進化した国産乗用車は、その後60年代に入って開花することになる

初出:ノスタルジックヒーロー 2019年 8月号 Vol.194

(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)


1950年代のクルマ事情(全4記事)

関連記事:1950年代の旧車たち

【1】【2】【3】から続く

TEXT:HIDEAKI KATAOKA/片岡英明 PHOTO:いすゞ自動車株式会社、日産自動車株式会社/トヨタ自動車株式会社

RECOMMENDED

RELATED

RANKING