シーサイドモーターが正規輸入した「1台きり」のAT車を完全再生へ!【第1話その1】Tomitaku ランボルギーニ・エスパーダ復活計画

初対面は夜。収められていたガレージの薄明かりにエスパーダの巨体が浮かび上がった。ミウラと同じ、マルチェロ・ガンディーニが手がけた。タイヤのエアが抜け、低い車高を一段と低く見せていた

       
【Tomitaku ランボルギーニ・エスパーダ復活計画 第1話 vol.1】

 1975年6月26日、日本に向けてイタリアを出発。荷受人は「シーサイドモーター」との出荷記録が今も残る。富松さんが手に入れた「ランボルギーニ・エスパーダ」は、素性がはっきりとした正規輸入モノ。モデルとしては、1972年〜1978年までの7年間に456台が生産されたシリーズⅢ。ミッションは、ランボルギーニ初となるオートマチック仕様だ。ちなみに富松さんによると、当時のシーサイドモーターで輸入したエスパーダの国内での生存数は片手ほどで、AT車はこの1台のみとのこと。

 富松さんは、このクルマのそんな生い立ちも、希少性も、当初は知らずに手に入れた。情報はクルマ仲間の「愛車(エスパーダ)の今後を、富松さんに託したがっている人がいる」という話だけ。半信半疑で現物を見に行き、独特なデザインが放つオーラにひかれ、譲り受けた。背景を知ったのは、クルマを持ち帰り、レストアを始めてからのことだ。興味を覚え、愛車の歴史をひも解くうちに詳細を知った。欲を出すと逃げていく。大切にしてくれる人には旧車のほうから近づいてくる。そんな迷信は、まんざらだれかの作り話でもないのかもしれない。

【画像21枚】不動状態だった20年の間にブレーキが完全に固着していた。押しても引いても人力では動かず、アクティの力を借りて強引にガレージへ押し込み、簡易的なメンテナンスを施す。ここから復活計画がスタートだ




>>晴れた日を選んで引き取りに出向く。チームTOMITAKUの仲間(ヘンカタさん、Keiさん、ツッチーさん)が同行。パンクしたタイヤの交換が最初の作業になった。



>> トミタク邸に到着。ちなみにエスパーダの全長は4730mmで、BMWの5シリーズよりも少し短く、幅も狭い。圧倒的な低さが、ボディを大柄に見せているのだ。


OWNER 富松拓也さん

横浜から、岡山のマニアに続き、そして3人目のオーナーとなった富松さん。OS技研でチーフエンジニアを務める筋金入りの旧車好きだ。
「実は、1974年6月26日が誕生日で、このエスパーダがイタリアを出発したのが1年後の6月26日だったんです。これはもう、運命の1台だと思うんですよー。この手の歴史のあるクルマは、メカはもちろんですけど、背景がおもしれーんよ」


【2】へ続く

初出:ノスタルジックヒーロー 2019年10月号 Vol.195

(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

Tomitaku ランボルギーニ・エスパーダ復活計画 第一話(全2記事)

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