これが方向指示器なの? 現在のマツダの敷地で生産されたフォード|1934年式 日本フォード 重力式撒水自動車【2】

ウインカーの代名詞とも言われたアポロ式。

【1】から続く

日本の自動車産業の黎明期、日本独自で産業を発展させたのではなく、そこには米国のフォードモーターカンパニーとゼネラルモーターズが絡んでいた。関東大震災直後、都市交通の役割を担ったのは、米国フォードのトラックシャシーであった。その後、日本は輸入車を参考にして自動車産業を成長させていく。

【ハヤシコレクション 米国フォードの痕跡を残す最後の1台 1934年式 日本フォード 重力式撒水自動車 vol.2】

 震災から2年後の1925年、日本フォード自動車株式会社が設立。神奈川県横浜市緑町にて日本フォード緑町工場を操業し、T型フォードのノックダウン生産を開始。その2年後には、神奈川区守屋町に子安工場を新築し、この時期から新型車A型フォードの組み立てを行った。

 アメリカから主要部品を輸入し、日本国内で組み立てるノックダウン生産方式。そこへ日本製の部品も徐々に使われはじめ、日本メーカーは技術を蓄積していく。1937年頃にはフォードの部品製造をしていた日本の部品メーカーが協力し、フォードをコピーした純国産トラック聖号が製作された。

 1934年にこれまで直列4気筒のみのラインアップからV型8気筒エンジンを搭載するモデルを投入するが、この頃すでに日米関係には暗い影が見え始めており、1936年に日本国内の自動車産業保護を名目とした自動車製造事業法の影響で、1940年に操業停止へと追い込まれることになった。

 15年という短い期間ではあったが、日本の自動車産業に影響をおよぼしたフォード。日本フォード子安工場は第二次大戦中に陸軍により接収されたが、戦後しばらくして返還され、フォードの輸入車納車整備センターとなった後、現在はマツダR&Dセンター横浜としてフォードの面影を残している。

【画像28枚】キャビンから後方ノズルへロッドが伸びており、助手席のレバーでノズル開閉の操作をするものと思われる仕組み。構造的にはタンク内の水を後方のノズルから水が円形に広がるように噴霧される。





>>A型までは直列4気筒エンジンだったが、ライバルであるシボレーが直列6気筒を搭載したことにより、それに対抗するためV型8気筒サイドバルブ式3621cc75psを搭載する。スパークプラグにはNGKの文字が見え、バルクヘッド側黒い球体状の部品はミツバ製のホーンがあるなど、随所に日本製の部品が使われている。ただしいつの時代に取り付けられたものは分からない。



>>4気筒との差別化を図るため、V8のエンブレムが誇らしげ。



>>冷却水の容量は6-1/4ガロン(23.658L)。



【3】へ続く

初出:ノスタルジックヒーロー 2019年10月号 Vol.195

(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

1934年式日本フォード重力式撒水自動車(全3記事

関連記事:林コレクション

関連記事:フォード

RECOMMENDED

RELATED

RANKING