スバル360と大貴 誠の横浜・大阪往復の旅 1

現在ノスタルジックヒーローで連載中の「スバル360で素敵探検 大貴 誠のレディーバードの旅」の大貴誠さんには、引退して以来、ずっと温めていたプランがあった。

それは「スバル360を手に入れて旅に出ること」。

 行きはすべて一般道を使い、4日間かけて大阪へ向かうという大貴さん念願の旅。
天気予報が「日本全国この冬一番の寒さ」「各地に数十年ぶりの大雪」を告げる日、快晴の横浜を出発した。それはどのようなものだったのだろう。

記念すべき1回目とも言える、レディーバードの旅。


歌劇スターはノスヒロ読者


歌劇団に所属していた頃は大阪在住だったが、休日には本誌の広告を頼りに、スバル360を探して旧車ショップ巡りをしていたという。


 大貴誠は、10年以上前からスバル360を探し求めていた。歌劇の男役をやりながらずーっと。
 大正11(1922)年創立、もうじき90周年を迎えようという女性だけのレビュー劇団が、大阪のOSK日本歌劇団。このOSKの男役トップスターだったのが大貴誠だ。

 歌劇といえば絢爛豪華でゴージャスで、目に星が瞬くような世界だ。大貴誠も燕尾服で優雅に踊ったり歌ったりラブシーンを演じたりしながら、スバルが好きで、欲しくて、運転したくてたまらなかったのだ!

 幼い時、親戚のお兄ちゃんに乗せてもらったおぼろげな記憶だけがある。ある日、スバルのことを思い出して、夢中になった。スバルがあると聞けば、大阪の果てまでも見に行ったりした。その頃、ノスタルジックヒーローが創刊され、大貴誠はただちに熱心な読者となった。歌劇界広しといえど、ノスヒロを創刊号から揃えているスターはいない(と思う、たぶん)。

 しかし大貴誠は次第に危険を感じ始めた。こんなに夢中になってていいのか。私の仕事は舞台だ、そっちがおろそかになってはいけない。ある日、一大決心して、ノスヒロひと揃いを全部ダンボール箱にしまいこんだ。

 その後の大貴誠の、歌劇団での活躍はすごかった。劇団の解散騒動という大事件が起こり、存続運動にも立ち上がった。署名活動、自治体や企業やマスコミへの支援要請行脚、そして存続を果たした劇団の運営、もちろん舞台に上がり、果ては脚本演出もやるという「夜も満足に眠れない」日々を続け道頓堀の大阪松竹座公演を復活させた。

その松竹座で2007年4月、退団のサヨナラ公演をして、ファンに見送られながら御堂筋をオープンカーで颯爽と去ったのである。その時に乗ったオープンカーは、日産フィガロ。大貴誠の当時の愛車で、このセレクトにも趣味がよく出ている。


屋外での撮影が終わった後、ファミレスでチョコバナナパフェのバナナ抜き(笑)をほおばる大貴さん。

 そんな大貴誠は、退団間際から盛んに「やめたらスバル360に乗りたい。山の中でスバルの整備をして暮らしたい」と言っていた。これ、歌劇スターの引退後の生活設計としては相当変わっている。「芸能活動」や「結婚」や「ダンスの先生」とかが、退団した歌劇のスターのやることじゃないのか。行動力も、考える事も、ふつうのスターとスケールがちがっているのだ。



ふだんからクルマの手入れを欠かさない大貴さん。車内もオリジナルのままで、これからもずっとこのまま維持したいとか。


掲載:ノスタルジックヒーロー 2011年 04月号 vol.144(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

text:Rueka Aoki/青木るえか photo:Rumi Matsushita/松下るみ

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