【林コレクション】日本で最初にスポーツの名を冠し、フェアレディの源流となったクルマ|1959年式 ダットサンスポーツ1000(S211)

林コレクション|1959年式 S211ダットサンスポーツ1000

       
できるだけそのクルマの歴史が刻まれたままの状態で保管したいと考える林さんだが、さすがにクルマの原型をとどめていないクルマは別。赤サビだらけだったダットサンスポーツは、林さんが自身の手でコツコツとレストア。復活させた1台なのである。

【林コレクション|1959年式 S211ダットサンスポーツ1000】

【画像37枚】林さんは決して少なくない台数の旧車のレストアを、仲間とともに自身の手で行っているそのようす。後塗りされていた塗料を剥離剤を使い剥がしていく。剥がしきれない部分は電動のサンダーで削り落とす。3人がかりでサンダーを使うと、周囲の騒音と粉塵は飛行機が飛び交うかの如く

日本で最初にスポーツの名を冠したと言われるDC-3型ダットサンスポーツ(1952〜54年)は、第二次大戦後に生産を再開していたダットサンのシャシーに、戦前のオオタ自動車の流れを汲む太田祐一が立ち上げたワイドフィールドモータースが製作した、英国MG風オープンボディを乗せたスペシャルであった。とはいえシャシーの基本設計は戦前のダットサン乗用車そのものであり、走行性能においてDC-3は、おおよそスポーツカーとは言い難いものであったろう。

しかし、これが後のフェアレディSP/SR、さらにはフェアレディZへとつながるフェアレディ・ヒストリーの源流であると言われるのは、DC-3がフェアレディZの父と後に言われる片山豊が立案したプロジェクトであることもさることながら、DC-3の実質的な後継車となるS210系ダットサンスポーツもまた、DC-3同様に太田祐一のボディワークであることが意味深い。

1936年、多摩川スピードウェイでのレースで覇権を競ったダットサンとオオタ。ライバルとして戦った2社の社員であった片山豊と太田祐一の共同プロジェクト。戦前の自動車レースの熱狂を間近に体感した筋金入りのカーガイ2人が生んだ、2世代にわたるダットサンスポーツが、後のフェアレディの源流となり、「ダッツン」の名を世界へと広める礎となったことは疑う余地もない。


>>林さんの元に来てからすでに数十年は経過していたダットサンスポーツ。オリジナルとは異なるフロント独立懸架、トーションバースプリング式のダットサントラックのフレームに載せられていた。これをオリジナルに近い210ダットサン乗用車のフレームに載せ替えるのが主な目的となる。レストア開始は写真の日付にある通り1999年年末。ここから仲間とともに本業がお休みの土日だけを使い、数年がかりのレストアが開始された。

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