カーデザインの巨人たち①【4】日本のカーデザイン黎明期、オリジナルのデザインを生み出せるデザイナーがいなかった時代に白羽の矢が立ったミケロッティ

2022年にイタリアのトリノ自動車博物館で開催されたジョバンニ・ミケロッティ生誕100周年記念展にも出品された、日野自動車が所有するコンテッサ1300のミケロッティのスケッチ。

16歳でカーデザインの世界に飛び込んで以降、世界中の数々の名車のデザインを手掛けてきた鬼才ジョバンニ・ミケロッティ。日本車デザインの黎明期に彼が残した先進的なスタイリングのクルマたちは、後の日本の自動車デザインに大きな影響を与えたのだ。

【カーデザインの巨人たち① Vol.4】

このスポーツモデルには、コンテッサ900スプリントという名が与えられ、62年10月に開催されたトリノショーにコンセプトモデルとして展示された。

その後、63年には販売に向けた計画がスタートし、その年の10月に開催された第10回全日本自動車ショーに出展。国内でも反響を得る事となった。

しかし、ミケロッティ工房での生産計画は、欧州経済共同体の反対によってまさかの頓挫。コンテッサ900スプリントは市販化されることなく、幻のコンセプトモデルとなってしまった。

ミケロッティがデザインした日本車は、日野の2台だけではない。プリンス自動車工業は、57年のデビュー以来1.5Lエンジンを搭載してきたスカイラインのシャシーを用いて、新たなスポーツタイプの開発に着手。

そのボディデザインの依頼を受けたのがミケロッティだった。当時の日本は、デザインの分野で大きな遅れを取っていた。デザインの主流はアメリカ車をコピーしたようなものが多く、自社でオリジナル性の高いデザインを生み出せるデザイナーはほとんどいなかった。

プリンスもその例外ではなく、時代の先端を行くデザインを吸収するべくミケロッティに白羽の矢を立てたのだった。 

【画像14枚】「イタリアの鬼才」ジョバンニ・ミケロッティが生み出した美しいデザインのクルマたち


【4】へ続く

初出:ハチマルヒーロー vol.044 2017年11月号
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

カーデザインの巨人たち①(全5記事)

cooperation:日野自動車

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