16歳でカーデザインの世界に飛び込んで以降、世界中の数々の名車のデザインを手掛けてきた鬼才ジョバンニ・ミケロッティ。日本車デザインの黎明期に彼が残した先進的なスタイリングのクルマたちは、後の日本の自動車デザインに大きな影響を与えたのだ。
【カーデザインの巨人たち① Vol.1】
1950年代当時の日本は、第二次世界大戦からの復興のさなかにあった。アメリカ軍の管理下に置かれていた日本では、軍需の象徴であった飛行機や乗用車の生産が禁止されていたが、49年10月に乗用車の生産が解禁となった。自動車メーカーの多くは、当時自動車先進国である欧米の外国資本と技術提携を行いながら自動車産業の復興を目指した。
日野自動車も、フランスのルノー公団と技術提携を行い、53年にルノー4CVのノックダウン生産を開始した。
この技術提携によって乗用車のクルマ造りを学んだ日野は61年4月、自社のオリジナル車両となるコンテッサ900を発売した。
そして64年9月に登場したのが、コンテッサ900の基本設計を踏襲して誕生したコンテッサ1300だ。初めは4ドアセダンのみであったが、その翌年の65年4月にはクーペタイプを追加し、国内外で高い人気を博した。
そしてこのコンテッサ1300をデザインしたのが、他ならぬイタリアの鬼才、ジョバンニ・ミケロッティだ。
【画像14枚】「イタリアの鬼才」ジョバンニ・ミケロッティが生み出した美しいデザインのクルマたち>>コンテッサ 900スプリント。リアのスタリングには流麗さが感じられる。ピラーを細く見せるデザインを得意とするミケロッティのセンスが十分に発揮されている。
【2】へ続く初出:ハチマルヒーロー vol.044 2017年11月号
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)
カーデザインの巨人たち①(全5記事)