そして1967年5月30日、世界初の2ローターRE、10A搭載のコスモ スポーツが発売された|ロータリーエンジン誕生への道のり【2】試作から量産への長い道のり

西ドイツのNUS社を訪れたロータリーエンジン研究部長だった山本健一さん(写真右)。たとえ海外であっても積極的に情報交換をし、開発を進めた

       
【ロータリーエンジン誕生への道のり Vol.2】

【1】から続く

試作品の完成と話題性

 開発陣のたゆまない努力により、1963年秋の第10回全日本自動車ショーに2種類のREが参考出品された。単室容積400ccの1ローターと2ロータータイプ。基本的な構造はNSU社と同じで、これまでに出てきた問題の根本的解決にまでは至らない状態で一般公開されることになった。

 そして、このREを積んだ試作スポーツカー、コスモ スポーツプロトタイプが翌1964年に誕生するのであった。

 第11回東京モーターショーで公に披露されたコスモ スポーツは来場者の注目の的であった。未来的なスタイリングに、新時代を予感させるようなRE、誰もが、東洋工業の功績に驚かされた。そして、ショーが終わると、広島までのロングランキャラバンがスタート。各地のディーラーを回り、REのすばらしさをコマーシャルしていったのだ。

 しかし、クルマとしては、まだまだ、完成度が低かった。チャターマークなどを始め、問題は解決されていない。ここから市販車製造に向けて、大きな山を超えなければいけないことに、社長をはじめ開発陣は分かっていたのだ。



>> 東洋工業が製造した試作ロータリーエンジンの第一号機。NSU社の設計図を元に製造された。1ローターであり、吸排気とも外周側にあるペリフェラルポート。





>> ハウジング内に発生したチャターマーク。耐久性を著しく低下させる大きな問題点であった。この傷跡は「悪魔の爪痕」と呼ばれ、開発陣を大いに悩ませた。


>>【画像7枚】NUS社の試作ロータリーエンジンなど

量産を実現するために

 最大の問題であったチャターマークは、内部の回転するシリンダー頂点に気密性を高めるために取り付けられたアペックスシールが、振動運動ではない動きから振動を起こしてしまう自励振動が原因であることが分かった。そこで日本カーボンの協力で、高強度カーボン材にアルミを染み込ませた素材でアペックスシールを開発。自励振動はなくなり、REは一気に量産できる性能まで引き上げられていった。

 それ以外の問題も次から次へと解決していった。エンジンオイルが燃焼室に入り白煙が上がる問題では、日本ピストンリング社と日本オイルシール社の協力で漏れのないオイルシールを開発。不安定なアイドリングは吸気と排気がオーバーラップすることに原因があったので、吸気のみサイドから取り入れる方式を採用した。また、低回転でも振動を減らすためにローターを増やし、相殺する方法が取られ、量産では最もシンプルな2ローターを採用。

 そして、1967年5月30日、世界初の2ローターRE、10A搭載のコスモ スポーツが発売された。単室容積491ccのツーローターとし、最高出力110psを誇った。その小さなエンジンから驚くべきパワーが絞り出されたのだ。

 しかし、REの開発はここでゴールを迎えたわけではなかった。その後も過酷な環境下を想定してテストが繰り返され、さらに高性能なREの開発が進められた。コスモ スポーツ発売と同時にレースへも参戦。初戦は1968年8月にドイツ・ニュルブルクリンクで開催されたマラソン・デ・ラ・ルート84時間レース。2台が出走して、1台が総合4位に入賞する好成績を収めた。

 市販化は到底無理だと言われたREであったが、東洋工業の挑戦によって、時代は切り開かれていった。同じようにして、そのポテンシャルを秘めたREは、さらに進化を続けるのだろう。



>> 1967年に発売された市販車コスモスポーツに搭載の10A型エンジン。2ローターロータリーエンジンの量産は世界初であり、世界が注目したエンジンでもあった。



初出:ノスタルジックヒーロー 2017年8月号 Vol.182
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

ロータリーエンジン誕生への道のり(全2記事)

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【1】から続く

text:KEISHI WATANABE/渡辺圭史 photo:Mazda Motor Corporation/マツダ

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