2020.08.07
R32と共にNISMOへやってきた男。スパ24時間で1‐2‐3フィニッシュ! モータースポーツとチュ ...
日産に入社し、R382に搭載されていたV12エンジンなどの担当をしていた日置。70年に日産のワークス活動休止が決まると、追浜にあった中央研究所排気研究部へと異動し数年を過ごしていた。そんな日置だったが ...
2020.08.06
1980~90年代、米国、日本、欧州と渡り歩き、R32 GT-Rレースデビュー2ヶ月前にNISMOへ ...
日産に入社し、R382に搭載されていたV12エンジンなどの担当をしていた日置。70年に日産のワークス活動休止が決まると、追浜にあった中央研究所排気研究部へと異動し数年を過ごしていた。そんな日置だったが ...
2020.08.05
「モータースポーツをやっていて一番面白かった時期でしたね」R32時代の幕開け。根っからのクルマ好きが ...
1990年3月17日、GT-Rの名を復活させたR32スカイラインGT‐Rのレースデビューの場となった西日本サーキット(後のMINEサーキット)には、ファンに加えて多くのレース関係者が顔を見せていた。G ...
2020.07.21
【13】R383、さらにR384の計画も中止! ついえた夢、CAN-AM制覇の野望|最強のレース組織 ...
CAN-AM用のシボレーV8から始まった日産のグループ7カープロジェクトは、1970年に入ってすぐに起きた日本グランプリの中止発表、排出ガスによる公害の発生を受け、いったん終了することが決定した。 こ ...
2020.05.03
連勝前夜。誕生、最強のツーリングカーGT-R|NISSAN the Race|R380&スカイライン ...
長らくツーリングカーの王座に君臨してきたスカイラインGTを、大観衆の前で引きずり降ろせる日本グランプリは、トヨタにとってまたとない大舞台となっていた。 しかし、このことはスカイライン側から見ると、逆の ...
2020.05.02
プリンスにとって特別な存在だったR380。その見果てぬ夢「ル・マン」|NISSAN the Race ...
もちろん、2Lクラス(1601〜2000cc)と割り切っての参戦も可能だったが、性能を比べるべき肝心の相手がいなくなっていた。 ライバル視するポルシェは910から907を経て3Lの908へと発展。アル ...
2020.05.01
プライベートポルシェ連合軍に敗れ1年。第5回日本グランプリへの布陣にみるプリンスの目論み|NISSA ...
1967年の第4回日本グランプリ終了後、翌年の第5回日本グランプリに排気量無制限のグループ7カーも参戦可能となったことで、レース車両の開発を受け持つ第2特殊車両課のプロジェクトは、舵の切り直しを迫られ ...
2020.04.13
日産のレーシングカーが7リットル級エンジン搭載も検討!? 日本グランプリからCAN-AMへ|NISS ...
R382に次ぐR383で、7L級の排気量やターボチャージャーの採用を検討していたことからもはっきりする。 それにしても、67年の後半にはまだ2L級エンジンの効率改善に腐心していたメーカーが、わずか2年 ...
2020.04.11
開けてしまったパンドラの箱「グループ7」。世界を夢見たビッグマシンの栄光と幻影|NISSAN the ...
年に1度の日本グランプリを軸に発展を遂げてきた日本のモーターレーシングは、1968年に大きな転換点を迎えることになる。グランプリの車両規定にグループ7が加えられ、レース界全体がこのカテゴリーを中心に展 ...