国産車のモータリゼーションの出発点【1】50年以上にもおよぶ最高のライバル関係 セド・グロvsクラウン

50年以上にもおよぶ最高のライバル関係。1950年代から1980年代前半まで

       
【 50年以上にもおよぶ最高のライバル関係 セド・グロvsクラウン Vol.1】

 国産車のモータリゼーションの出発点、それは1955年1月に誕生した初代クラウンだ。当時の日本は第二次世界大戦によって自動車技術で欧米から後れをとっていた。その溝を埋めるために、国産メーカーはルノーやオースチン、ヒルマンと提携し、ノックダウン生産を行っていた。そのなか、トヨタは純国産方式を採用し、トヨペット・クラウンを開発。国内の実状に合わせてデザインやメカニズムが開発された純国産車として話題を集めた。

 それから4年後の59年1月、プリンス自動車が初代グロリアを発売。グロリアは先に発売されていた初代スカイラインとボディを共用し、内外装をより高級に仕立てたものだった。一方、初代セドリックは1960年4月に登場。それまでノックダウン生産を行っていたオースチンA50に代わる純国産車として開発されたもので、日産初のモノコックボディを採用するなど意欲作となった。この初代セドリックがデビューしたことが、後に数十年も続くことになるセドリック&グロリアとクラウンのライバル関係のきっかけとなった。

 その後、順調にモデルチェンジを重ねた3車は、国産車と日本のモータリゼーションをけん引していく。そんな3車にとって、重要な意味を持つひとつ目の年が1971年だ。1966年に日産とプリンスが合併して初のモデルチェンジを行ったグロリアとセドリックは、完全に基本構造を同じにする姉妹車となった。グロリアが4代目、セドリックが3代目にあたる230がデビューしたのは1971年2月のことだった。

 その一方、クラウンも同じ月にフルモデルチェンジを行い、4代目となった。「スピンドル・シェイプ(紡錘形)」と名付けられた個性的なデザインは「クジラ」の愛称で呼ばれたが、あまりにも斬新すぎて市場に受け入れられず、「史上最大の失敗作」というレッテルを貼られた。その結果、230セド・グロに販売台数で逆転を許したのだった。


>> 【画像26枚】歴代のセドグロとクラウンなど




>> 初代 30●1960年4月






>> 初代 RS●1955年1月



初出:ハチマルヒーロー 2016年 5月号 vol.35
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

50年以上にもおよぶ最高のライバル関係 セド・グロvsクラウン(全3記事)

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