ターボシンドロームの1980年代前半。乗り遅れたハイソカーブーム。ホワイトのボディカラーで反撃に出た日産|第26回 東京モーターショー 1985 日産編【1】

ダットサントラックがブースに上がる商用車館

       
【 第26回 東京モーターショー 1985 日産編 Vol.1】

1980年代の前半、日産は積極的にターボ路線に舵を切り、ターボエンジン搭載車を増やし続けている。「史上最強のスカイライン」のコピーから分かるように、日産はパワー至上主義のクルマ造りにまい進した。が、思ったほど販売台数は伸びていない。日産(と三菱)は、ターボシンドロームに振り回された。そしてトヨタにDOHC戦略で後れを取るのである。

 また、コンサバティブだが、上級クラスは4ドアハードトップやノッチバックの2ドアクーペが安定した人気を誇った。ボディカラーのなかで年代を超えて持てはやされたのが純白だ。清楚なホワイトのボディカラーに、多くの人が飛びついた。このハイソカーブームにも日産は乗り遅れている。そこで体制を立て直し、考え方を改め、反撃に出たのが1985年だ。



>>【画像9枚】大賑わいの会場の様子や日産MID4の写真など



[日産ブース]

会期中の日産ブースは活気に満ちていた。MID4のまわりには幾重にも人垣ができている。左側の奥に見えるシルバーのコンセプトカーがCUE-Xだ。





[日産ブース]

このショーが開催されていた時代は商用車館も人があふれ返っている。



【2】に続く

初出:ハチマルヒーロー 2016年 5月号 vol.35
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

第26回 東京モーターショー 1985 日産・スバル編(全3記事)

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text : HIDEAKI KATAOKA/片岡英明 photo : JAMA/一般社団法人 日本自動車工業会

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