「いすゞX」の名前でステージに上がった アッソ・ディ・フィオーリ|東京モーターショーに出展された、コンセプトカー&ショーモデル|第23回 東京モーターショー 1979 Vol.1

第23回 東京モーターショー 1979 に出展されたいすゞX。

       
【第23回 東京モーターショー 1979 Vol.1】

 1973年秋に世界中を襲ったオイルショックは、好調に伸び続けていた自動車業界を震撼させただけでなく、初めてマイナス成長を経験させている。来場者数が増え続けていた東京モーターショーも例外ではない。1973年を最後に隔年開催に変えられた。

 2年ぶりの開催となった75年の第21回ショーからは、省エネと低公害、そして安全対策をうたった現実味のあるモーターショーに変化している。第22回になる1977年秋の東京モーターショーも、オイルショックによる不況の影を引きずった。コンセプトカーもショーカーも華やかさを欠いている。

 第23回東京モーターショーは、1979年11月1日に幕を開けた。70年代最後のショーだったが、低公害エンジンや低燃費エンジンの開発に多大な予算を費やしたのか、ショーカーの少ない地味なショーになっている。例年はスタイリッシュなコンセプトカーやショーカーを展示するトヨタも、この回はおとなしい。日産やマツダも同様だ。コンセプトカー、ショーカーともに現実味のあるクルマが多かった。


>>【画像12枚】同じ第23回東京モーターショーで展示されたトヨタ・CX-80のインテリア。ボディカラーとコーディネートしたシートや、視認性に優れたデジタルメーターを採用したメーターなど


 正式発売を見据えた、市販前提のショーカーが目立ったのが、第23回ショーの特徴だ。その代表が、いすゞブースに展示された「いすゞX」である。本誌の読者は、このクルマをご存知だろう。15年春のノスタルジック2デイズの会場に展示され、話題をまいたクルマそのものだからだ。
 1979年春のジュネーブショーに、イタルデザインを率いるジョルジエット・ジウジアーロは、流麗なスポーツクーペ、アッソ・ディ・フィオーリ(クラブのエース)を参考出品している。これを名称変更したのが「いすゞX」だ。



 いすゞX(アッソ・ディ・フィオーリ)はジェミニのフロアユニットを用いたフル4シーターのFRスポーツクーペで、リアにはハッチゲートを装備する。企画の早い段階から量産化を前提にしていた。117クーペの後継モデルであることは言うまでもない。東京モーターショーに出品したプロトタイプは車名、いすゞエンブレム、タイヤなど、細部が異なっているだけだ。

 正式発表は1年半後の1981年5月である。ピアッツァのネーミングで市販に移された。ショーカーと大きく違うのはミラーだ。日本の法基準に合わせてフェンダーミラーとした。また、贅を尽くしたインテリアも、イメージを損なわないように手直しされている。ショーカーのエンジンは1.8Lの直列4気筒DOHCだったが、これも2LのG200型になった。



ジウジアーロの渾身の作品が、いすゞとの信頼関係から生まれたアッソ・ディ・フィオーリ。フラッシュサーフェスの美しいファストバッククーペで、ヘッドライトは半格納式だった。当時、ドアミラーは認可されていなかったが、いすゞXはドアミラーだった。





インテリアはゴージャスなレザー仕様だ。時代に先駆けてメーターの両側にサテライトスイッチを配している。


【2】に続く

初出:ハチマルヒーロー 2015年 07月号 vol.30
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

第23回 東京モーターショー 1979(全3記事)


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text : HIDEAKI KATAOKA/片岡英明 photo : ISAO YATSUI/谷井 功、JAMA/日本自動車工業会

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