世界の頂点目指してトヨタが再始動、最先端の技術を駆使して制覇を目論む|DENSO TOYOTA 89C-V Vol.1

初の純トヨタ製レーシングカー(!)となったトヨタ88C-V(1988年)の改良モデルである89C-V。撮影車両は1989年JSPC最終戦富士1000kmで優勝を遂げたDENSO TOYOTA 89C-V。トヨタによるモータースポーツ活動の幕開けとなったモデルだ。

       
【DENSO TOYOTA 89C-V Vol.1】

 1983年から始まるグループCカーレース、全日本スポーツプロトタイプカー選手権(JSPC)に参戦するトヨタ勢の体制は、トムスと童夢が共同開発したシャシーにトヨタが供給する4T‐G型ターボエンジンを組み合わせ、チームごとに車両を走らせるという参戦状況だった。

 4T‐G型エンジンは、WRCセリカGT‐TSで使われ、実績を持つエンジン。他にCカー用として有力な選択肢がなかったことから転用されたもので、その後やはりWRCセリカGT‐FOURで使われる3S‐G型エンジンもCカー用として使われることになる。このエンジン供給という点でトヨタの存在は確認できたが、トヨタによる直接のモータースポーツ活動という形のものではなかった。

 この頃のJSPCシリーズは、トラスト、アドバンなどのプライベート・ポルシェ956勢が引っ張る形で発展した。トヨタ、日産のCカー勢はこれを目標に車両開発を進めたが、3年経っても4年経ってもいっこうに追いつけず、レースのたびに大敗を喫する状況だった。

 国内戦がこうした流れの中で、トヨタ勢は1985年から、日産勢は1986年からル・マン24時間への参戦を始めていた。しかし、世界の檜舞台でより実力差が浮き彫りにされ、根本から車両性能の見直しが迫られていた。

 世界で通用するには、メーカー規模での技術開発、リソース投入が必要不可欠なことを思い知ったわけだが、トヨタと日産がほぼ同時期にグループCプロジェクトを立ち上げたことは、なんとも興味深い事実だった。

 折しも時代は80年代中盤。バブル経済のまっただ中にあり、正当な名目があれば活動予算が潤沢に得られる時期だった。ほんの数年前、排ガス対策で性能を落としたクルマが売れず、苦境に立たされていた自動車メーカーの状況を考えれば雲泥の差。エンジニアは排ガス成分ではなく、極限の性能を追求するモータースポーツ業務に就けることは、おもしろくもあり、本望ともいえるものだったろう。


88C-V/89C-Vに搭載された3.2LのR32V型エンジンや、キャビン直後の両サイドスペースに水平マウントされたラジエーターなど【写真10枚】




トヨタグループCカーの特徴としてサイドポンツーンが高い位置で設定されていることに気づく。サイドポンツーン内をエアダクトとして活用するためベルトラインが高くなったものだ。基本設計は異なるがIMSA版のイーグルではこれより積極的な使われ方をした。






リアウイングは独立マウント式。リアカウル損傷や離脱によるエアロダイナミクスへの影響を避ける方式として浸透していた手法だ。ちなみにライバル・ポルシェはリアウイング一体式のリアカウル構造を採っていた。





コンパクトに収められたV8エンジン。88C-V/89C-Vでは3.2LのR32V型、90C-V以降では改良型となる3.6LのR36V型が使われた。レーシングカーはレースごとに仕様が異なるため基本型はあってないようなもの。タービンはトヨタ製CT26RLT型を使用。



【2】に続く


初出:ノスタルジックヒーロー 2015年 04月 Vol.168 (記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

DENSO TOYOTA 89C-V(全2記事)

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text : AKIHIKO OUCHI/大内明彦 photo : MASAMI SATO/佐藤正巳、AKIHIKO OUCHI/大内明彦

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