【8】「最終ラップの1コーナーでブレーキがブシュと抜けた」記憶に残る菅生F3000での勝利|ヨコハマタイヤと伝説を作った レーシング・ドライバー 和田孝夫 Vol.8

       
89年7月30日の「菅生F3000レース」。ポールポジションが長谷見で1分12秒35。2位はR・チーバー、3位は小河等、4位は中谷明彦。和田は予選10位に沈む。マシンはTENORAS ADVANローラT89。

 朝、和田はウオームアップランで調子よく他車より1秒も速かった!

「速いよ、和田クン」と重山和徳監督。

 決勝のスタートで和田は早くも2台を抜く。3周目G・リース、5周目星野、6周目小河、8周目関谷を次々パスしていく。前を行くのは首位のR・チーバー、その後ろは2位の長谷見と3位の中谷だ。

 いったん、和田の追い上げに待ったがかかった。2位に浮上した時、赤旗が出た。松本恵二がスピンしコースをふさいだからだ。

 協議の結果、11周と40周の合計タイムで争われることになった。和田は11周時点の4位に戻された。

 2回目のスタートで長谷見と中谷を抜く。R・チーバーは1コーナーでインを閉めているので抜けない。今度はアウトから仕掛け、軽く接触した。R・チーバーはスピンし、そこで小河と当たる。R・チーバーはリタイア。和田は待望のトップに立つ。

 ここで思いもしないアクシデントが発生。最終コーナーに和田はアクセル全開で入った。そこにハーフスロットルの周回遅れのG・リースがいた。マシンは弱アンダーステア(曲がりにくい)にセッティングしてあったのでインにつけない。とっさに和田はアウト側に逃げた。コースへ戻ったところにいた岡田秀樹と当たってしまった。

 和田の左リアアッパーアームが曲がった。それでもラップタイムは変わらない。左コーナーでは大アンダーステア、右コーナーではオーバーステア(曲がりすぎる)。1分16秒台で走れた。曲がったサスペンションアームのピボット部がブレーキホースを傷つけ、ブレーキオイルが漏れ出した。ブレーキが利かなくなり、和田は1コーナーから飛び出した。アッパーアームがポッキリ折れた。完全な3輪走行になった。そこへ2位の中谷が迫ってきた。もう1周あると思い込んでいたらチェッカーフラッグが降られた。2位の中谷とわずか0.5秒差。2ヒートを合算した差は0.32秒差だった。

「最終ラップの1コーナーでブレーキがブシュと抜けた。左リアタイヤはグラグラ。でもペースを落とす気はなかった。とにかく走りきるしかない。2位との差は気にしてなかった。運良く優勝できた。少しはみんなに面白いレースを見せられたかな、と思います」ときっぱりいった。


89年7月30日の「菅生F3000レース」でリアアッパーアームが折れながら奇跡の勝利を飾った和田は表彰台でアドバンのキャップを高々と掲げて観客に応える。2位の中谷明彦との差は0.32秒だった。


掲載:ノスタルジックヒーロー 2012年2月号 Vol.149(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

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text:Nostalgic Hero/編集部 photo:Satoshi Kamimura/神村 聖

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