【4】70年代のレース! 走らないはずのラルトRT1で予選3位!|ヨコハマタイヤと伝説を作った レーシング・ドライバー Vol.4

       
78年9月24日の「鈴鹿グレート20ドライバーズレース」。

「ル・マン商会が走らなくて放置していたラルトRT1を自己資金でF2の1レースを走るためにレンタルしました。実際は手持ちが300万円もなかったのですが、F2のレースにかけてみたかったので東名自動車とル・マン商会に頼み込みました。東名のエンジンはすばらしく回りました。なんと予選3位になれました。そうしたら関係者の間で話題騒然となりました。決勝ではステアリングギアボックスが壊れ16周目のヘアピンでスピンしてストップしリタイアしました。ル・マン商会の花輪知夫さんがラルトの評判がよくなり、大量に輸入できることになるからレンタル代はタダでいいよ、と言ってくれました。東名の社長もエンジンの優秀性を実証してくれたからお金はいらない、ということになり300万円を払う必要がなくなり大喜びしました」

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 その活躍を冷静に見ている男がいた。エスエスリミテッドの原田信雄だ。マルティニMk.29の新車を輸入して79年のシーズンのF2レースに和田を乗せる、という話になった。マルティニMk.29はストレートが速いマシンだった。


 79年11月4日の「JAF鈴鹿グランプリ」。和田のフォーミュラパシフィック(FP)のマシンはオオツカ東名ニッサンマーチ79 B.LZ14。

 長谷見昌弘と星野一義のエンジンのシリンダーブロックが明らかに公認のモノと異なったためコースイン20分前に両車失格になった。和田はこのレースを走ることなく79年FPのチャンピオンに輝いた!

 決勝。1周目にトップに出たのは高橋ADVANノバ53P。藤田直広シェブロンB35は2位。和田は3位。2周目に和田は藤田を抜いて2位に上がる。高橋は14周目に和田を前にやる。これは高橋の作戦だった。19周目まで2番手につけ、ヨコハマタイヤを温存していた。最終周第1コーナーの進入で高橋は和田の前へ出た。1周だけタイヤにムチを入れ和田を抑え込み優勝。和田もチャンピオンが決まっていたから無理はしなかった可能性もあるが、高橋の頭脳プレーの勝利だった。

 和田は思わず転がり込んできたFPのタイトルの重みをそんなに感じてはいなかったが、周囲の反応は明らかに変わっていた。普通であれば、長谷見と星野のワークスに勝てるはずではなかった。ワークスエンジンが明らかにトラブルを起こした時のみ、和田は勝ち星を拾えた。


 第1戦は3位、第2戦は4位、第3戦は優勝、第4戦は3位、第5戦は2位、そしてJAF鈴鹿グランプリで2位。79年FPシリーズで全戦上位入賞したのは和田1人だった。

 79年11月4日の「JAF鈴鹿グランプリ」は忘れられないレースとなった。前日に決めたFPチャンピオン獲得の喜びに浸りながら出場したF2レースに悪魔が潜んでいた。

 F2レースで和田はシビエマルティニ Mk.29で出場した。4周目のヘアピンコーナーで、事件は起こった。


78年6月4日の「富士グラン250kmレース」で和田GTスペシャルスターレット(中央)は予選3位、決勝2位。右は鎗田実GTスペシャルサニー。左は布木秀孝FUKI東名GTスペシャルサニー。

掲載:ノスタルジックヒーロー 2011年12月号 Vol.148(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

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text : Nostalgic Hero/編集部 photo : Ryotesu Kamisato/神里亮徹

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