【3】初レースは手彫りのレインタイヤで。消火剤が車内にあふれリタイア|ヨコハマタイヤと伝説を作った レーシング・ドライバー Vol.3

       

ヨコハマは70年代に2度あったオイルショックでしばらくレース参加を見合わせていたが、この頃からレース用タイヤを少しずつ開発していった。第1弾が76年の「JAFグランプリ」の和田サニーだった。

 それまではマイナーツーリングレース(MT)でブリヂストン(BS)が武藤文雄や杉崎直司をサポートするくらいで、後はほとんどダンロップが席巻していた。
「最初、ヨコハマはBSやダンロップと戦いにならなかったが、だんだん開発が進んでいった。MTレースではタイヤがブローしなければ他社のタイヤを履くクルマになんとかついていけました。当時、タイヤの開発責任者は山下隆さんでしたね」

 76年5月3日の「JAFグランプリ」の予選で和田サニーは3番手。1分35秒88をマーク。ポールポジションは舘信秀ダルメックススターレットで1分34秒82。2位も竹下憲一クワハラスターレットで1分34秒87。

関連記事:70年代のレース! 走らないはずのラルトRT1で予選3位!|ヨコハマタイヤと伝説を作った レーシング・ドライバー Vol.4


 決勝では和田は手彫り(グルービング)のヨコハマのレインタイヤを履く。2周目の1コーナーで和田がハーフスピンで横を向いたところへ、都平健二サニーがぶつかった。和田のマシンの左リアにダメージがあり11位まで落ちる。12周目に和田がヘアピン先でストップ。都平との衝突のショックで消火器のホルダーが外れ、サニーの車内に消火剤がいっぱいにあふれたからだ。和田はむせかえりながらなんとか脱出した。和田にとってさんざんなヨコハマの初レースだった。 


「ヨコハマで走るようになると、テストでもレースでも日当が1万5000円出ました。契約金はありませんが乗せてもらえるだけでありがたかったですね」


 和田はマイナーツーリングレース以外に耐久レースでもGTスペシャルサニーで出場した。

 76年7月25日の「全日本富士1000kmレース」。先輩格のヨコハマのテストドライバーの大塚と組みサニーでレースに出た。結果は9位(クラス優勝)だった。
 76年12月5日の「富士ツーリストトロフィーレース」。

 予選で和田/大塚組GTスペシャルサニーは13位。決勝で和田/大塚組は5位入賞。クラス優勝だった。総合優勝は寺田陽次郎/岡本安弘組サバンナRX‐3。

 77年3月6日の「鈴鹿2&4レース」のFJ1300レースで和田は初めてフォーミュラマシンに乗った。カラーリングはまるでアルピーヌのようなマーチ743。もとは杉崎直司が乗っていたマシンだ。予選は6位。決勝は4位走行の竹下憲一を抜きゴール。優勝は中嶋悟ノバ513。


 77年5月22日の「鈴鹿フォーミュラジャパン自動車レース」。
 和田は「レーシングフォージGTスペシャルスターレット」で出場。

 予選では長坂尚樹スターレットがポールポジション。2位和田GTスペシャルスターレット。3位は佐々木秀六明和シビック。

 決勝で長坂は独走優勝。2位は3位のシビックと1秒差の和田スターレット。
「ステアリングが重くて脇の下がしびれてきついレースでした」


 77年6月26日の「第2戦富士グラン250kmレース」にも和田はスターレットで出場する。

 スターレットで参加したのは3人。鈴木恵一、和田、中村正和。ポールポジションは鈴木で、雨の中1分41秒32をマーク。和田はプラグをかぶらせてしまい10番手。中村もミッショントラブルで13番手。

 決勝。1周目、鈴木スターレット、高橋サニー、渋谷栄治サニーの順。レース中盤、BSの鈴木、ヨコハマの和田と高橋がトップを争う。鈴木が23周を走りきりチェッカーを受ける。2位は0.68秒差で和田、3位は高橋。

「今までサニーでマイナーツーリングレースに出場してきて、スターレットに乗ることは不思議だと思われるかもしれません。でもそれがヨコハマの意向でした。

 このレースではスターレットで健ちゃんのサニーの前でフィニッシュできましたが、健ちゃんのほうが実力ははるかに上です。同じサニーに乗ったらついていけますが、前へ出ることはできません。健ちゃんは高度なテクニックを駆使してポジションをキープしますから。エンジンの使い方がボクらと違ってピカイチでした。

 スターレットは立ち上がりも速く、ストレートも速い。逆にサニーは車重が軽いので加速はいい。サニーのA12型エンジンは限りなく限界に近いチューンがされていました。

 みんなトップで最終コーナーを立ち上がると、ストレートで抜かれるからと、ようすを見ます。良いポジションを取ろうと最後の2、3周で一気にペースが上がるんです。

 最後には前のほうを走っていないと、ラストの追い込みがきかない。良いポジションをキープしつつ、駆け引きをするしかない。数をこなしている先輩レーサーのほうがやはり一日の長がある。当時は1コーナーのアウト側にいると押し出されてしまった。とにかく最終ラップのイン側を狙っていくしかなかった」


 78年シーズン、和田はGTスぺシャルサニー&スターレットで闘い、JAFツーリングカーⅠ部門最優秀選手に輝いた。


79年6月3日の「JAF富士グランプリ」に出場したときの和田。当時は長髪とサングラスが流行していた?

掲載:ノスタルジックヒーロー 2011年12月号 Vol.148(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)



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text : Nostalgic Hero/編集部 photo : Ryotesu Kamisato/神里亮徹

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