日本初の車載カメラによるレース撮影。ドライバー兼カメラマンで|レーシング・ドライバー大坪 引退の顛末 Vol.5

大坪は自分しかできない手法で映画を撮影する。

ドライバーとしてレースに参加して、映画を作ろうというのである。


 73年7月29日の「73全日本富士1000kmレース」に田井滋之(制作補佐)と組み、スプリンタートレノでエントリー。

フロントスポイラーには「UNION PROJECTO」の大きなステッカーが貼られている。

最後の「O」はご愛敬で不要だったが。


『雨とセリカと男たち』というタイトルで制作された。

プロデューサーは大坪、監督は『ヘアピン・サーカス』の西村潔。


 映像は決勝の10日前、7月19日の練習風景から始まる。

トヨタは2台のセリカターボ(LB&クーペ)をエントリー。

カメラはトヨタの綱島工場の特殊開発部に潜入。

台風6号がレース当日直撃した。

トヨタ自工の東富士の第17技術部で徹底的な雨対策が施された。

レースの裏舞台まで描いたこの映像は大坪ならではの演出でモータースポーツファン必見である。


 予選で大坪/田井組のスプリンタートレノは2分09秒16で35位。

マシンはトヨペットサービスでチューンされていたが、カメラの機材が重くタイムは出なかった。

トヨタの本命高橋晴邦/見﨑組(セリカLBターボ)は1分56秒00で11位だった。


 決勝では、雨の中苦戦するGCマシンを尻目に4周目にトップに立った高橋晴邦/見﨑組が143周を走り切り総合優勝。

大坪組は撮影のため3周に1度ピットインしながら走行し、結果は49位、26周でリタイアしている。


 現在であれば機材は小型化しているが、当時はカメラも大型で重かった。

カメラをフロント、リア、左サイドに設置した。

豪雨だったが、逆に臨場感たっぷりの映像になった。

日本初の車載カメラによるレース撮影。

4台のマシンの横をすり抜けるシーンは大坪でなければ撮れない秀逸な映像だ。


「こんな激しい雨での撮影は初めてです。レンズにぶつかる水滴できれいに映ってないんじゃないかな。現像するまで心配ですね。でも迫力ある絵が写っていますよ」と当時大坪はインタビューに応えている。


 のちに『セリカLBターボ』(副題雨とセリカと男たち)に改題しDVDが販売された。

発売元はエイベックス・エンタテインメント。


 75年9月6日に公開された『動脈列島』(東京映画製作・東宝配給)に大坪はスタントカーチームサンバを編成し、カーテクニカルアドバイザーとして参加した。

この映画は清水一行原作で、増村保造監督だが、撮影カメラマンは『へアピン・サーカス』と同じ原一民だった。




『F‐1をめざす男 鈴木利男と2T‐G』というタイトルで鈴木のイギリスF3レース挑戦が描かれている。



掲載:ノスタルジックヒーロー 2011年 10月号 vol.147(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

text :Nostalgic Hero/編集部

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