艶消し黒は黒板用の塗料を使用!? 日本のカスタムレーシングは、このクルマから始まった|カラス Vol.1

垂直面で形成されたS600のオリジナル形状に対し、カラスはノーズ長を延長、さらにくさび形とすることで空気の中をスムーズに突き進む形状を採用。

       
【カラス Vol.1】

 日本のカスタムレーシングの草分け、「童夢」が創設40周年を迎えた(2015年10月号当時)。

 しかし、創始者・林みのるの活動となると、さらにそこから10年さかのぼる。

 自動車に魅入られ、自分だけの自動車に憧れた青年は、カスタマイズという形で自動車造りの世界に足を踏み入れた。手掛けたモデルは「カラス」。

 ホンダS600ベースの改造レーシングカーで、ドライバーは浮谷東次郎。オリジナルはすでに現存しないが、林自身も加わる企画で1台が再現された。

 1965年5月30日の第2回クラブマン鈴鹿レースミーティング参戦時の車体を再現した復元車。10周レースで2位のS600寺西孝利車に約50秒の差をつけて優勝。浮谷の技量は認めざるを得ないが、2位寺西も後にSCCN大阪を率いた実力者。やはり林のモディファイによる効果と見てよいだろう。


市川市在住だった浮谷のものだった証しである千葉ナンバーなど【写真6枚】

 歴史的に振り返ると、カラスにはふたつの大きな意味があったように思える。ひとつは、まだ黎明期にあった日本のモーターレーシング界で、早くもレーシングコンストラクターの誕生を予感させたこと、もうひとつは製作者の林みのると伝説のドライバー、浮谷東次郎を取り巻くモータースポーツエピソードとしての価値である。

 カラスは、バイク好き、クルマ好き、物作りが大好きな林みのるが、彼の友人である浮谷東次郎のホンダS600を、こうすればもっと速くなるのではないかと、我流でモディファイしたレーシングカーである。

 ホンダS600は、S500を引き継ぐ形で1964年3月から生産・販売され、その後はS800に発展したモデルだ。
一方、モーターレーシングの世界に目を移すと、この期間は鈴鹿での第2回日本グランプリから、富士スピードウェイの営業を直前に控えた船橋サーキットの全盛期という時代で、小型コンパクト、高性能エンジンを積むホンダS600は、ミニやアバルト、ロータス・エランといった海外製のマシンに交じり健闘を見せていた。

 ちなみにS600は、2シータースポーツの車両性格上、当然のごとくGTクラスでの公認を取っていたが、S800登場後はツーリングカークラスへと移行している。

 S600は、数少ない日本製高性能車両として人気を集めたが、それだけに数も増えていた。有力なライバル車も多い。独自の対策を施すことで少しでも速くならないか、と考えるのは自然の成り行きだ。ただ、問題なのは、当時の日本には、速くするための技術も経験もなかったことである。

 第1回、第2回の日本グランプリ時も同様だったが、レギュレーション内で許される改造をどうしていたかといえば、海外の自動車雑誌を参考に見よう見まねで行っていたという状態だったのである。

 林みのるが浮谷のS600に施した改造は、ファストバック形状の樹脂製ハードトップの架装、フロントエンドの伸張、アルミ製リアスポイラーの追加といった項目だが、1966年の時点でリアスポイラーを装備する発想は、なかなかのものだった。

 当時の空力は、現代のダウンフォース志向とはまったく異なるもので、他の高速移動体を見ても分かるよう、流線形という言葉がブームとなり、空気の流れに逆らわないフォルムが理想とされていた時代だ。

 カラスも、こうした考え方で造られたことがひと目で分かるフォルムをしているが、残念ながら実際どの程度の効果があったか断定できない。

(文中敬称略)



日本のカスタムレーシングは、このクルマから始まった。





テールエンドまでスムーズに流れ落ちるファストバック形状のハードトップを製作。そのテールエンドにはリアを抑え付ける効果を狙ってアルミ製リアスポイラーを装着。


【2】に続く

初出:ノスタルジックヒーロー 2015年 10月号 vol.171(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

カラス(全2記事)

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text : AKIHIKO OUCHI/大内明彦 photo : HIDENOBU TANAKA/田中秀宣

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